やはり、赤穂ネットに掲載したものです。


【TRAVEL/MAIN  No.983】著者 I.P  1996/09/20 19:31:25  2644 byte
《このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その1>I.P

[9月12日現地にて記述したもの]

唐突だが、いまドイツのコロンに来ている。昨日、12時間15分のフライトで関空
からミュンヘンに着き、通関すると、国内線に乗り継いでコロンまで小一時間かかっ
た。出発の際に、シベリアのレーダー基地修理の為、機内に2時間半も閉じ込められ
ていた。国際線では、よくあることなので、またかと思っていた。前には羽田で5時
間待ちの経験もある。

機長のアナウンスによると、飛行ルートを中国上空に変更したいので、ただいま中国
政府と交渉中とのこと。流石、合理的なドイツ人の発想だ。そんな領空通過の許可を
1民間会社のパイロットが要求したとて、中国政府が、緊急事態でもないのに短時間
で許可を出すハズがない。シベリアのレーダー基地の修理完了を待つほうが早い。

やはり、中国政府の許可は降りず、シベリアのレーダーが復旧してからの出発となっ
た。飛行している機内に居るのと、地上で駐機している機内に居なければならないの
とでは気分が違う。ハイジャックに合った人達の気分は、それどころではないのだろ
うが多少はわかる。

今回のツァーは10名以内なので団体扱い(10名から1名の添乗員が付く)になら
ず、現地ガイドの手配のみだ。一応、旅行社の方が空港まで来て、航空券を配り終わ
り、簡単な説明の後、帰って行った。出国手続きをしてしまうと、そこは日本国内で
あっても、外国扱いなので、旅行社は入れない。パスポートと航空券の管理は各自の
責任において保管してもらう。

今回のツァーは、私の仕事仲間達で、見本市視察というのが主たる目的だ。現地直接
集合する1名を加えて、合計9名という小規模のグループだ。おまけに海外旅行は慣
れている者が大半なので、あまり気を遣うこともない。

出発が遅れたので、コロンで、現地ガイドが待っていてくれるのか心配したが、ちゃ
んとバスの手配をしてくれていた。ガイドもルフトハンザに問い合わせ、我々一行の
ことを聞いてくれていたが、ミュンヘンのホテルに泊まったという誤った情報を受け
たが、約束なので念の為、変更になった乗り継ぎ便到着に合わせ、バスを待たせてく
れていた。現地ガイドは、歳若い日本人女性だった。コロンでは昨日、ヒョウが降っ
たそうだ。やけに寒い。

このガイドの仕事は、我々を空港で迎え、バスに乗るのを確認してお仕舞い。バスに
乗り込んでホテルまでの間、いろいろと説明してくれるものと考えていたのは日本人
的な発想だ。後は、バスの運転手に任せ、帰ってしまう。バスは大型のもので、8名
で貸し切りだ。バスの運転手は、我々をホテルに運び、荷物をポーターに受け渡して
仕事が終了する。翌日、ホテルに迎えに来る時間を確認すると帰って行った。

このように、合理的なドイツの風土に次第に慣らされて行く。

時差ぼけが心配だったが、飛行機の中で隣に座った徳島の男と、眠るなよと励まし合
ったお蔭で、なんとか克服てきたようだ。それでも、国内線の機内では、ほとんど居
眠りしていたようだ。


                                              インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.984】著者 I.P  1996/09/20 19:32:36  2718 byte
《コメント先 No.983  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その2>I.P

[9月12日現地にて記述したもの]

ホテルは、DORINT  KONGRESSという名で、市内の中心部に位置する。
町並みは落ち着いていて比較的美しい街だ。道幅も日本とよく似ていて、それほど広
くない。戦争の焼け跡から復興したのか、建物も新しいものが多くある。ドイツだか
ら、直線形の建物が多い。四角四面のドイツ人の気性の現れだろう。私の部屋は10
Fの26号室。ツインのさっぱりとした部屋だ。部屋には、日本のようにスリッパや
髭剃り、洗面用品のセットは置いていない。必用最低限度のサービスはするが、過剰
なサービスは一切しない国民性が現れている。姫路のホテルサンガーデンジムから失
敬してきた使い捨ての髭剃りが役に立つ。<^_^>

ここ、コロンは日本ではケルンと発音していたが、それでは飛行場では通じない。コ
ロンと発音するのだそうだ。オーデコロンのコロンというのが、この街の名称で香水
の名前とも関連がありそうだ。(やはり香水発祥の地だった)

部屋に入り、私が最初にセットしたのは、当然、パソコンの電源確保の問題だった。

昔、トラベラーズ商会で購入した変圧器を持参したが、オプションの差し込み口を紛
失している。私の持ってきたものは根元の差し込み形状が異なっていて、ものの役に
立たない。翌日、コロン市内の電気屋で探さなければと思っていると、同室のS氏が
ドライヤーの為変圧器を持参していた。早速、部品を借用した。テーブルタップで電
気を分ける。折角、重たい目をして手荷物に携帯パソコンを運んで来たというのに、
使用できないでは泣くに泣けない

お礼に、私のハードディスクの奥の奥に収めてある特別性のMPEG(動画)を見せ
てあげる。インターネットからダウンロードしたもののコピーを某氏から頂戴したも
のだ。この件に関してはあまり声を大にしてアナウンスできないのが残念だ

次にしなければならないことは、ホテルのセーフティボックスに貴重品を預けること
だ。特にパスポートは大切だ。同室のS氏(彼は、私と同じ姫路の男)とセーフティ
ボックスを借りにフロントへ降りる。すると、東京のTコンサルタントの先生も同じ
手続きをしておられた。

機内食には間食に日本の「おにぎり」も用意してあったが、アメリカの飛行機と異な
り量が少なかった。ホテルに「歌舞伎」という日本の寿司店があったので、寝酒を求
めて入ると、他のメンバーが先客でいた。合流し、ビールや寿司をつまんだ。割り勘
勝ちして、一人チップ込みの40マルク(約3000円)だった。日本のことを思う
と安い。経営者は日本人。

ホテルには、別便で三原の男が到着していた。彼は、コロンの3日間だけ我々と行動
を共にして、アメリカのサンジェゴへ向かう。英語やドイツ語なんてできなくても、
単独で海外旅行を平気でする日本人も増えてきた。

明日のモーニングコールは、午前7時だ。もう寝ることにしょう。

                                              インスピ(つづく)

PS.

 以上2つのファイルだけは、緊急非難したフロッピーに残っていた。これから事件
が起こる。明日からポツポツとMSG作成する気になっている。


【TRAVEL/MAIN  No.985】著者 I.P  1996/09/21 17:17:47  3208 byte
《コメント先 No.984  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その3>I.P

[このMSGは、緊急非難し損なったものだが、某氏のACアダプターを拝借し、か
ろうじて復活させた。事件が起こるのは次のMSG]

目覚めたのは、午前5時だ。2時間だけの時差ボケで済んだようだ。今日は、バスで
ディュッセルドルフのMESSE(展示会場)に行く。1600社もの業者が出店し
ている世界でも有名な展示会だ。毎年、この時期にあるのだが、私が参加するのは初
めてだ。おそらく、同じ業界の方達と多くの出会いがあるだろう。

ディュッセルドルフに宿泊すればいいのだが、MESSE期間中はホテルの確保が難
しいので車で約40分の距離にあるコロンのホテルにしたのだ。

朝食は、バイキング形式だった。全員が出発の準備をして朝食会場に集まった。私は
皆の荷物番をして、食べる物を運んでもらった。置き引きの用心の為だ。以前、ラス
ベガスのアウトレットで買い物して、レストランの席に荷物を置いて、食べ物を取り
に行っている数分の隙に、買い物のすべてを盗まれたという酷い体験があるので、外
国では、特に用心をするようになっている。たぶん、このボードに昔、アップしたラ
スベガスツァーというのにも、格好が悪くて、そのエピソードを掲載しなかった覚え
がある。その時、一緒だったメンバーの大半が、今回のツァーにも参加しているので
、私の見張り番というのは、理解してくれたようだ。そのかわり、あてがいぶちの食
卓になってしまった。おおむね、マルの料理を運んでくれたので助かった。

フリーウェイを快調に走行するバスの車窓からは、緑豊かな景観が流れてゆく。本当
に閑静な文教都市のような雰囲気だ。これで人口100万都市とは、到底思えない。

今日は、MESSEに1日中居る予定だ。姫路から同行のS氏には気の毒だが、そう
いうツァーだということを承知で参加してもらっている。全く関係ないこともない。
私の関与する組合の顧問会計士も務めてもらっている。主なメンバーと出会うのは、
今回の旅行がお初だ。おまけに、10時間以上も飛行機に乗る旅行も初めてだ。本当
は観光したいに決まっている。

広い会場を我々は、精力的に歩き回る。各ブースを全部見てまわりたいが、そんなこ
とは、ほとんど不可能に近い。まず、全体の流行の傾向を探るべく、飛ばして見て回
る。それでも、午前中だけでは半分も見ることができなかった。

昼食の、たった1本のビールで酔いが回り、フラフラしている富山のメンバーをベン
チに残した時、S氏も、付き添いでベンチに腰を降ろす。2名の位置を確認し、さら
に見学は続く。日本からも有力な取り引き商社の社長が沢山、会場に来られていた。
今日は、そのMESSEの初日だ。業界紙のブースが会場入口のところにあり、その
編集長自ら指揮をとっておられた。毎年、このMESSEに参加しなくては業界情報
に遅れてしまうから、熱が入るのも当然だ。

私も、普段は、あまり商品のことは触っていないが、今回は協同組合の強力メンバー
と行動を共にしている。いろいろと教えてもらうことも多々あった。また、行く先々
で、取り引きしていても、顔を合わせたことがなかった商社の社長と名詞交換もでき
た。誠に充実した時を過ごすことができた。現金なもので、そうなると疲れも忘れて
しまう。広い会場をアチコチ歩き回ったというのに、ますます元気がでてくる。

ふと、気がつくと5時近くになっていた。2名を残した場所に戻ってみると、ちゃん
と大人しく座っていた。もう3時間以上も待たせたままだ。遠くドイツまで来て、い
くらそういうツァーだと納得していても、畑違いの展示会場でむなしく過ごす長時間
というものは、相当、あほらしいものだったに相違ない。

                                                              インスピ


【TRAVEL/MAIN  No.986】著者 I.P  1996/09/21 19:01:52  2190 byte
《コメント先 No.985  このメッセージに対するコメントが 2件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その4>I.P

今回の旅では、そうとうな分量のMSGが書けそうだと喜んでいると、電池切れの
警告音がピーピー鳴り始めた。確かにACアダプターから直接電源を取っているの
に変だと思い、コンセントを確認してみれば、電圧変換のコンバーターが外れてい
た。仕事用の大事なファイルを作成途中だったこともあり、慌ててACアダプター
を差し込んだ。バシっと嫌な音がして、パソコンは死んでしまった。220Vの高
電圧をもろに受けてしまったようだ。

折角、日本から重い目をして手荷物で運んで来たのに、目の前が、真っ暗になる。
嘆いていると、同室のS氏も起きてきて、心配そうに私の手元を見ていた。IBM
530をひっくり返し、裏蓋を開き、バッテリーを取り出す。再びセットしてみれ
ば、残っている電池で少しは動くが、すぐにストップしてしまう。

しばらく思案していたが、電池が残っている間に、ファイルをフロッピーディスク
にコピーしてしまおうと考えた。ディスクをセットし、作成ファイルを2つまでコ
ピーしたところで、パソコンは、遂に力が尽きてしまった。あとは、真っ暗闇。

キーボードに親しんで、原稿を書く体質になってしまっているので、いまさらエン
ピツやボールペンでは書く気がしない。否、一行も書けないのだ。すっかり原稿は
諦めてしまった。帰国してから、記憶を辿って続きを書き始めている。

で、復旧したNO3のMSGでは、たった1本のビールに酔っ払った富山の男に付
き添い、約3時間も、つまらない時を過ごした、姫路の税理士先生のことまで書い
ている。

迎えのバスに乗り込んで、再び、ディッセルドルフからコロンのホテルに帰る。

松江の男が、途中、どこかのスーパーマーケットに寄って、水を買いたいというの
で、ヘタな英語で運転手に伝えた。水ならバスに積み込んでいるので、それを買え
という。契約は、会場からホテルへ届けるだけだ。やはり、ドイツ人は合理的にで
きている。バスを止めて、車腹から水をパックで取り出してくれた。

ご存じのように、ヨーロッパでは、水は、ビールやワインよりも値が高い。水やお
茶は無料のものだと思い込んでいる日本人のほうが、世界的にみると、ずっと変ら
しい。ところが、この水がクセ者だった。ノンガスだと言っていたのに、ガス入り
のものだった。これは、飲めたものではない。ヨーロッパでは、幼いころから、ガ
ス入りの水を飲んで育っているので、日本のようにピュアーな水では頼りないそう
だ。

                          インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.987】著者 I.P  1996/09/22 11:08:04  2458 byte
《コメント先 No.986  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その5>I.P

我々の宿泊しているドリント・コングレスホテルの部屋から約1キロのところに
大聖堂が見える。高さ157Mの2つの尖塔が天にそびえ奥行き144M幅86
M。13世紀に起工されてから600年以上もかけて完成したという。塔の先端
部分にイカダのような足場を組み、修理中だった。中はゴシック式の大伽藍。ス
テンドグラスが太陽光線を浴び、色彩豊かな図形を暗い聖堂の中に浮かびあがら
せている。

早朝、同室のS氏と大聖堂まで散歩しょうと軽装でホテルを出たが寒い。結局、
ホテルの周辺だけの散歩に終わる。アンティークの店をウィンドウショッピング
しただけだった。

今日は、ガイドを予約している。コロンに家庭を持ち26年間も在住している日
本人女性だ。日本の旅行会社は、世界各地の旅行会社と提携しており、現地在住
の日本人をガイドとして契約している。この方は、ドイツに生活していながら、
比較的、日本人感覚で、深夜までサービスしてくれた。

商品仕入れがある松江の男をディュッセルドルフの会場まで運び、午後3時に迎
えに来ると約束し、市内観光に向かった。まず、旧市街に行く。数先年前の石畳
の上を歩く。ヨーロッパでは、ほとんどがゴツゴツした石畳道路だ。日本のよう
にアスファルトやタイル舗装の道路はまれにしかない。ハイネの詩集で有名なハ
イネの生家にも立ち寄った。いまは、料理店になっている。露天市場は、常設で
テントやトラックの荷台を店舗にしていた。果物を買う。リンゴ、オレンジ等。

次に、有名なケーニヒスアレー(王様の並木道)周辺に連れて行かれた。ここに
は、高級ブティク店が数多い。いま、話題の「プラダ」の店を発見したので皆と
ともに入る。そこには、今回は別に現地入りしていた高知の男が先客で居た。や
はり、流行に敏感な業界人だ。外国旅行では、発見した時に買いものしておかな
ければ、二度とは買えない。同行のS氏にもそういうアドバイスをした。阪神大
震災で、神戸から流行したリュックサック型のバックパックを娘さんの為に求め
ておられた。

昼食前に、三越に寄る。この周辺で、各自、それぞれ自由に昼食。ゾーリンゲン
地方は兵庫県の三木市とおなじように刃もので有名だ。なかでもヘンケル社の製
品は、世界的に定評がある。その商品を眺めていて皆とはぐれた。3日間だけ合
流の三原の男と、S氏と私の3名で昼食場所を探しに出たところ、道の信号のと
ころで、ガイドさんに出会った。彼女も食事に行く途中だというので、案内して
もらう。横道に入った、こじんまりした日本料理の店だ。一種の穴場で観光客の
姿はない。ドイツ人が器用に箸を使っていた。私より上手だ。S氏は日変わり定
食、他の3名は、チラシ寿司。ビールのつまみに枝豆。安くてうまい。支払いは
S氏がしてくれた。

                          インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.988】著者 I.P  1996/09/22 12:11:32  1898 byte
《コメント先 No.987  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その6>I.P
昼食を終え、再び三越に戻る。バスの駐車場がないので、時間を決めて、指定の場
所に迎えに来てもらうシステムになっている。

再度、中心街へ。ここでも、橋の手前でバスを降り、ブティク街を見て回る。とこ
ろどころ、集合店舗になっていて、高級品店が並んでいる。素朴な木製のオモチャ
専門店を眺めながら、S氏は、もう数年前なら息子に沢山買うものがあったのにと
残念がる。このS氏の買いものには、私も相当、気をつかった。無目的で買えば、
あとで収拾がつかなくなる。そんな経験は私も過去に嫌というほどしている。お土
産は、相手の顔を思い浮かべながらするべきだ。私のお土産は、例によって、みや
げ話だけにするつもりだったが、今回はパソコンがアウトになっている。帰国して
からが大変なことになるだろうと思っていた。

オペラハウスの近くまで歩いた。今回の旅では、ほとんど歩き回っていたようだ。
日ごろの運動で鍛えているといっても、足が棒のようになる。

そろそろ、展示会に残した松江の男と約束した時間なので、迎えに行く。ちゃんと
一人でパーキング場に待っていた。タクシーでコロンまで帰るには遠すぎる。

宮殿を見に行く。全面は人口池になっていて、立派なお屋敷が建っている。裏に回
って驚いた。1本の広い並木道の先端は霞んで見えないほど遠い。ここで、キツネ
や兎狩りを楽しんでいたそうだ。権力者の別荘のようだった。一匹のリスが我々を
見て、森へ走って逃げた。

ホテルまでの帰路、ガイドさんは、運転手とドイツ語でずっと会話していたが、内
容は、全然わからない。ドイツ語というのは、ギクシャクした発音だ。フランス語
のほうが、柔らかい。

車がびゅんびゅん通る道端に小さな原っぱがある。(姫路大手前公園の半分ほど)
奥は森だ。その真ん中に兎を発見。ゆうゆうと原っぱの真ん中を歩いている。ドイ
ツには、こういう自然が市街地に、まだ残っている。

ホテルに着いた。ガイドさんは、夜も案内してくれるという。部屋で約40分の休
憩時間をもらった。ゴロンとベッドに横になる。靴下を脱ぎ、棒のようになった足
を休める。

                          インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.989】著者 I.P  1996/09/22 15:15:53  3386 byte
《コメント先 No.988  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その7>I.P

コロンは、ライン川中流に臨む商工業都市で、古代ローマの植民地。第二次世界大
戦で徹底的に破壊されたが、ところどころに古い城壁が残っている。半円型の石積
みがそうだ。

ガイドさんがロビーで待ってくれているので、夕食がてら、市内観光に出かける。

小雨まじりの中を、徒歩で約1キロのところにそびえる大聖堂へ行く。内部は、荘
厳な雰囲気で、フランスのノートルダム寺院とよく似ている。拝観料などは必要な
い。誰でも自由に入れる。ベンチ式の椅子が並び、聖書が無造作に置かれている。
スリ、置き引きに気を付けるようにと度々、注意されるが、聖書を持ちさろうとい
う不埒者はいないようだ。

今日は、大聖堂の近くの旧市街でお祭りがあるというので、行ってみた。舞台がし
つらえてあって、地元の人気グループのステージを無料で見せている。我々の前に
母親と5才前後の女の子が、手を繋いで、リズムに合わせ踊っている。若い母親で
見ているとチャーミングだ。スキップしながら数歩進むと手を繋いだままねじり反
対方向に戻る。ほとんどの聴衆が、音楽を楽しんでいる。服装は、ネズミ色の空と
同じように地味なものが多い。

露天で、ソーセージを焼いていた。ガイドさんが勧めるので、私も1本、立ち食い
してみた。なるほど美味い。私のを味見させてほしいと徳島の男が、横からかじり
切った。まるでパン食い競争のようなスタイルで食いつく。

ライン川のほとりに出る。この川は水深があり、2000トンクラスまでの船が航
行できるそうだ。何かの集会の時などホテルが不足するので、豪華船を停泊させて
ホテル代わりに利用するそうだ。ここの露天では、牛をまるごと1頭、焼いていて
その肉をサンドイッチにして売っていた。買ったのは私だけだった。

ガイドの息子さんが、よく行くというビアホールに案内してもらった。ガイドさん
も初めて入るそうだ。入口は混雑していたが、店の奥に幸い、10名座れるテーブ
ルが空いていた。ビールの種類も豊富らしい。見ていると、ビールに合わせグラス
も違う。そして、つまみもなしで、ビールだけ飲んでいる。日本であれば考えられ
ない。つまみが欲しいが、店には置いてないそうだ。ただ、ひたすらビールを飲む
という。ドイツでは、満14才からビールを公に飲んでもいいから、皆、自分の適
量というものを心得ている。だから、日本のように、よれよれになるまで飲むとい
う者は、あまりいないようだ。特に今夜は地元のサッカーチームが勝ったというの
で盛り上がっている様子だった。

ここでは、1杯のビールだけにし、夕食に行く。日本食を食べたい松江の男、児島
の男、三原の男、富山の男は別行動だが、コンサルタント、姫路のS氏、徳島の男 
、和歌山の男、ガイド、私の6名は、地元人だけが行く、ビアレストランに案内し
てもらった。

やはり、まずビール。料理は、ガイドさんに頼んでもらった。やがて注文の品が次
から次へと運ばれてくる。豚足、ソーセージ、肉の煮込み・・・凄いボリュームだ
から、隣席のグループが一斉にこちらを見る。ほがらかに酔った年配のオジさんが
カンパイ!と我々の席にジョッキ片手で挨拶に来る。昔、戦争の同盟国だったから
日本人には好意を持っているようだ。

徳島の男は、肉の煮込みに「うまい!」と叫び、「ドイツまで来て、ドイツ料理を
食わない奴等の気が知れない」と言う。余程、気に入ったのだろう。

ガイドさんも割り勘を申し出たが、そんなことはできない。さきほどのビール代金
もガイドさんが立て替えてくれている。こういう時、姫路の税理士S氏の手腕が役
に立つ。さっと、計算し、割り勘の金額をたちどころに教えてくれる。あれほどの
量が出たのに、ガイドさんの分まで負担して、1名3000円程度と安かった。

翌日は、3泊したコロンのホテルを引き払って、イタリアに向かう。荷物詰めとい
う難作業が残っている

                          インスピ(つづく)


【TRAVEL/MAIN  No.990】著者 I.P  1996/09/23 11:11:56  2588 byte
《コメント先 No.989  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その8>I.P

部屋に戻り、ウトウトしてたら、本当に眠ってしまった。午前1時半ころ目覚める
と、S氏の荷物詰め作業は、ほとんど終了するところだった。私は、まだ荷物も整
理していない。S氏がたびたび起こしてくれたようだが、生返事するばかりで一向
に起きようとしなかったそうだ。

飛び起きて、散乱している私の荷物をスーツケースに詰める。旅行慣れしているか
ら手早い。そのかわり、相当、乱暴な荷造りだ。これで安心と眠りに就く。

今日は、コロンからミュンヘン経由でフローレンスへ向かう。荷物は、コロンで積
み込み、ミュンヘンで出国手続きをする。EC共同体になっているから、出国手続
といっても、パスポートの提示だけだ。それにスタンプを押しておしまい。簡単な
ものだ。いちいち、入国カードや出国カードの必要はない。

コロンの地方空港内にある店では、「4711」というオーデコロンを販売してい
た。和歌山の男が、どっさり買っていたようだ。コロンとミュンヘンがマルクを使
う最後のチャンスだ。もっとも、イタリアのリラなんかより、残っても安心できる
けれど

今回の旅では、ミュンヘンは、単に乗り継ぎ空港だ。昔、この街の大ビヤホールで
地元ドイツ人と、賑やかに飲んだ事がある。その時も日本人とみると好感を持って
いる方が大勢いた。

フィレンチェに到着したのは、昼過ぎだった。映画の場面によく出てくる終着駅の
近くにあるホテルが宿舎だった。部屋のサイズが小さい。チェックインしてルーム
キーを受け取ったのに、部屋は、まだベッドメーキングの最中だった。日本では考
えられない。ツインだが、ベッドがピタリと寄り添っている。女性と一緒なら嬉し
い配置だが、あいにく同室は、S氏だ。ベッドをそれぞれ壁際に移動する。真ん中
に空間ができたので、そこに丸テーブルを置く。これで落ち着いた。旅行会社は、
こういうところで、稼いだようだ。帰国すれば、一言、文句を言ってやりたい。

外に出た。ドイツでは、我慢していたスパゲティを食べたい。昔、ローマで何の変
哲もないレストランで食べたスパゲティが思いかけず美味かったのだ。そのことを
ずっと思っていた。イタリアは、スパゲティの本場。どこでも美味いだろうと考え
ていた。

まず、サンタマリアノヴェラの終着駅から地下道を通り、ドゥォモーまで歩く。ド
イツの建物は全体的に地味な色彩だが、イタリアは、色彩豊かだ。緑、ピンク、白
の大理石で彩られた華麗な聖堂だ。クーポラ(丸天井)には、フレスコ画の「最後
の審判」がある。

観光客が多いから、スリ、置き引きも多い。被害はなかったが、富山の男と徳島の
男のガバンのチャックが、いつの間にか開かれていたという事もあった。また、ジ
プシーの子供達が取り巻いて、騒いでいる隙に盗んでしまうという手口もあるそう
だ。そういう時は、両手を大きく開いて、大声を発し、追い払うに限るということ
だ。事実、そういうこともあったらしい。

                        インスピ(つづく)


【TRAVEL/MAIN  No.991】著者 I.P  1996/09/23 11:12:56  1598 byte
《コメント先 No.990  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その9>I.P

フェラガモの本店がある周辺が専門店街だ。ここにも、ヨーロッパの一流ブランド
の店が沢山ある。サルバトーレ・フェラガモ、ルイ・ヴィトン、グッチ、バレンチ
ノ、マックス・マーラ、カルチェETC

アルノ川にかかるヴェッキオ橋の上には、金銀細工の店がびっしりと並び、橋を渡
ったという感じがしない。ブランドの店もいいが、地元の商店を見るのも楽しい。

ヨーロッパでは、シェスタといって、お昼に休憩時間をとる習慣がある。商店も朝
の9時頃から正午までと、午後3時半頃から7時頃までしかオープンしない。もっ
とも、移民の店なんかは、ずーと開いている店もあるが食堂は別だ。お昼に
閉店されてしまったら、観光客が困る。

この商店街のブランド店で、デュッセルドルフの展示場、および「プラダ」の店内
で出会った高知の男に出会う。沢山の買い物をし、別便で宅配してもらっていたよ
うだ。松江の男が最初に発見した。彼は、次に単独でミラノに向かうそうだ。我々
も次はミラノだ。また、出会うかもしれない。

夕食は、ホテルに戻る途中の小さなイタリア料理の店。調理人が1名と注文をとる
ウェイトレスが1名という、わかりやすい構図だ。客席も20前後の小さい店だっ
た。それぞれ好みのものをバラバラに注文すると、調理人が1名だけなので時間が
かかる。数種類だけにしてほしいとウェイトレスが言う。なるほど一理ある。3種
類ぐらいにした。スパゲティミートソース、ボンゴレ、あとは何だったか忘れた。

塩味がキツイ。こんなに塩辛くしなくてもよさそうなものだ。ビールで流し込むよ
うにして食べた。期待していたスパゲティがバツだった。口直しにデザートのティ
ラミスを食べる。日本でも流行った甘ったるいケーキのようなものだ。

                        インスピ(つづく)


【TRAVEL/MAIN  No.992】著者 I.P  1996/09/23 11:14:11  1624 byte
《コメント先 No.991  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その10>I.P

ホテルに戻っても、まだ寝るには早い。夕食が塩辛くて満足に食べていないが疲れ
ているので、ベッドに仰向けに引っくり返っていた。隣のS氏も腹が減ったのか、
ホテルのレストランへ誘う。1Fのレストランは、内装も新しく、豪華な雰囲気が
ある。

メニューは全部、イタリア文字。どれを注文していいやら、さっぱりわからない。
本当は、前菜の部、スープの部、メインディッシュの部、デザートの部と別れてい
たのだが、その時は、気がつかない。

どうやら、メインディッシュの部で、値段を見て、適当に頼んでしまったらしい。

食前にビールだ。このS氏は、アルコール類は、まったくダメで、日本でもジュー
スで夜の付き合いをする。が、この旅行で、ちょっとはビールを飲めるようになっ
た。水を頼んでも、ガス入りのものが出てくる場合が多い。

やがて、料理が運ばれてきた。チキンとイカだったか?どちらも、一口で音を上げ
た。不味い。おまけに、ここも塩味が強い。、別のテーブルで日本人の団体が席に
着いている。料理はまだかとガイドさんがウェイターに聞いている。たぶん、到着
したばかりで腹ぺこなのだろう。こんな料理なら、たぶん失望されるだろう。

フィレンチェ到着初日の料理は、ことごとくバツだった。ほんの一口だけで食べ残
し、勘定は部屋につけてもらう。

部屋に戻っても、パソコンがないので、MSGも作成できない。本でも読むしかな
い。幸い、日本から椎名 誠の本を3冊も持参しているので退屈することはない。
週刊文春に連載された「新宿赤マント」というエッセーをまとめたものだ。本にで
きる分量になれば、編集して単行本にする。従って、過去に読んでいるものも数多
くある。改めて読んでも、おもしろい。

明日は、フェラガモ美術館を予約している。

                        インスピ(つづく)


【TRAVEL/MAIN  No.993】著者 I.P  1996/09/23 14:00:46  5370 byte
《コメント先 No.992  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その11>I.P

ホテルのバイキングが1番、安心して食べられるとS氏は言う。このホテルはほぼ
満杯だった。日本人グループは奥の部屋に通される。1品だけ少ない。ベーコンは
あってもハムがない。私は、きっちり隣の部屋からハムを取ってきた。

あまり早く行っても店はオープンしていない。フェラガモ美術館の予約時間にも間
がある。しかし、ホテルに居ても仕方がない。ブラブラとドゥオーモでも見に行く
ことにした。ドゥオーモの壁面には、ことごとく彫刻がほどこされている。数千年
前から大理石を刻む技術もあるようだ。荘厳な建物の外観だけでも圧倒されてしま
う。内部に入る。やはり、ステンドグラスが素晴らしい。丸天井がとても高い。こ
の建物を支えるのも石柱だ。何本もの石柱が建っている。しかし、この柱だって、
石を積み上げただけだろう。千本ローソクのように、火のついたローソクが前のほ
うにある。薄暗いドゥオーモの中で輝く無数のローソクは美しいものだ。

石積みの建物ばかりのヨーロッパだが、ここらには地震がないのだろうか?あんな
建物ばかりだと地震でも起これば、すぐに崩れてしまう。道路は、びっしりと石畳
で覆われ、草も生えていない。そんな途方もない過去に造られた道路の上を車が走
っている。街に合わせて、小型車やバイクが多い。

フェラガモ本店に行く。店のオープンまでに、ウィンドーショッピングをする。シ
ョーウィンドウは、店の閉まっている時でも照明している。ヨーロッパの人々は、
まず、ウィンドーショッピングで、自分の欲しい品物を選んでおいてから買い物を
する習慣だそうだ。衝動買いが少ないかもしれない。

店のオープン前に、店内では清掃が行われていた。観葉植物の葉、1枚1枚まで手
をかけて拭いている。流石、徹底している。

このフェラガモ本店の前にバス停がある。従業員はバスで来ても、玄関乗りつけに
なる。出社してくる社員さんの服装も洗練されている。すらりとした美人が多い。

少し早いが、Tコンサルタントが、美術館の予約時間を早めて下さった。エレベー
ターもあるが一人乗り。おそらく、身障者の為に後から設置したものだろう。階段
を昇る。3Fだ。我々の後から日本人女性2名がついて来た。予約されてますかと
聞くと、予約してませんと言う。Tコンサルタントは女性には親切だ。いいから、
我々に混じっていなさいと言う。鹿児島からやって来たそうだ。この2名はラッキ
ーだった。

案内嬢は、英語だった。フェラガモの初期の作品や、過去の有名銀幕スター達の御
用達をしていた頃の写真などが展示されている。ビテオテープも見せてくれた。

フェラガモ本店を出て、美術館へ行ってみたが、休館だった。本当に働かない国民
だ。何の為に働くのかと問われれば、日本人なら生活を豊かな、楽しいものにする
為だと答えるだろうが、こちらの人は、いま、充分に生活をエンジョイしているか
らいいではないかと反論するそうだ。そう言われれば、確かにそうだ。

昨日の橋を渡り、宮殿を見つけた。ここでは入場料をとる。3〜4000リラだっ
た。門をくぐると斜面になっていて、相当な丘になっている。松江の男は、ここで
待っていると登ろうとしない。S氏は、私にカメラを預け、走って登り、シャッタ
ーを要求する。元気なものだ。
登りきったところは、昔の要塞のようだった。展望台になっている。緑豊かなよく
肥えた土地が広がっている。市街地の建物群が、一望できる。足が疲れるが登って
正解だった。松江の男は、下で待たせたままだ。左の降りると、展望テラスがあり
ビールも飲めるようだ。松江の男は、この際、打ちほかしておいて、ビールを飲む
ことにする。

我々が降りて行くと、松江の男は、ちゃんと待っていた。1時間半もの間、待ちく
たびれただろう。他の出口もあったから、ヤバイと思ったと言う。

再び、商店街を見て回る。お昼の休憩時間だから、ウィンドーショッピングだ。

フェラガモの本店で午後4時に集合することにして、それぞれ自由行動。私は、S
氏とともに、ブラブラ商店街を歩き回った。私は、別に買い物はないのだが、店を
見て回るだけでもおもしろい。やはりS氏は、お土産に頭を痛めている。彼は、わ
ざわざコレクトコールしてまで、ブランド名を尋ねたりしていたのだ。

S氏の土地勘は、優れものだ。ホテルまでの道順は、ほとんど把握している。従っ
て、彼に付いて歩けば、間違いなくホテルに戻れる。私はホテルの住所と名前が入
った名刺を持っているだけ。イザとなれば、タクシーに乗るだけのことだ。

何回も、ホテルに帰ったので、すっかりS氏は、フィレンチェ通になった。線路沿
いの古い建物を改造してホテルにしてある。おまけに向かいには、古ぼけた倉庫の
ような建物がある。夜道は暗い。場所は駅に近いから便利なことは便利なのだが、
こういうホテルが新婚旅行で手配されていると悲しいものがあるに違いない。

部屋で2時間ほど休んでいて、約束の集合時間にフェラガモ本店に出向く。誰も来
ていない。しばらく待つと、松江の男がやってきた。彼もホテルで休んでいたそう
だ。時間に遅れると思って早足で来たと言う。皆が来るまでに、道路の公衆電話で
国際電話をかけようとしているのだが、かからない。コインでもコレクトコールな
ら日本に通じるハズだが

他のメンバーは、ホテルにも戻らず地元の安い商店で買い漁っているようだ。

半時間ほど待ってみたが、他のメンバーは誰も来ないので諦めて、商店街を歩く。

途中で、松江の男もお昼にチェックしていた安物を求めに別行動したので、またま
た、S氏と私だけになった。

あらゆるところに、両替屋がある。レートもマチマチだ。だけど街角の両替屋は手
数料をちゃんととるので、結局、ホテルで両替してもらうほうが得のようだ。リラ
なんてのは、あまり価値がないので、当座の用が足りるだけ持っていればいい。

それにしても、凄い単位だ。100,000リラ札なんかもある。1000リラと
いっても、75円くらいのものだから10万リラは7500円程度だ。ドルや円で
買い物すれば、お釣りは必ずリラ。リラはイランと言ってもリラをくれる。

お昼のスパゲティが失敗だったので、夕食は、別の店を探した。知らない街で食堂
を見つけるのはホネだ。

                        インスピ(つづく)


【TRAVEL/MAIN  No.994】著者 I.P  1996/09/23 15:46:20  2610 byte
《コメント先 No.993  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その12>I.P

昨日の食事で失敗しているから、今度は慎重だ。ホテルから出て、いままでとは別
の道路を歩く。地元の人間しか行かないようなレストランを発見した。外観からす
ると、まずまずの雰囲気だ。その店を一応、マークしておいて、他も探す。

2ブロックほど歩いたが、適当な店がない。やはり、その店に戻った。細長い造り
になっていて、奥が調理場とトイレ。店内は、どの店もそうだが、薄暗い照明にな
っていて、まるで、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフのレストランの
ようだ。

またしてもイタリア語のメニューが出てきた。とりあえず、ビールを頼み、スパゲ
ティとピザのところを、じっと眺める。トマト風味なら間違いないだろうと選ぶ。
そしてボンゴレ。ピザは、いろいろあるが、その店のウェイターが勧めてくれたの
は、フィレンチェ風のピザだった。値段の高いものでなく、フィレンチェだから、
フィレンチェ風味を勧めてくれたのだ。サイズがわからないので1枚だけにした。

今回は、当たりだった。どれも美味しい。特にピザが美味い。カリっとした下地に
チーズがほどよく溶けてハム等の具を包み込んでいる。親指をつき立てて、グッド
と言えば、ウェイターもニッコリほほ笑んだ。デザートにティラミスとコーヒーを
頼む。エスプレッソだ。こちらでは、濃いコーヒーが好まれているのだろうか?

勘定は、例によってS氏にチップを含めて割り勘にしてもらう。大抵、1割ほどの
チップを足すのだが、小かいのがなかったので、余分に置いた。ウェイターが喜ん
でグラスワインをサービスしてくれた。悪いが私は、ワインは苦手だ。一口だけ口
をつけただけ。すっかり満足して、ホテルに向かう。駅前に、果物の露天が出てい
て、西瓜が美味しそうだったので、立ち食いしてみた。2種類の西瓜を切り売りし
ていた。どちらが甘いかわからないので、両方、1切れづづもらう。富山の縦長の
フットボールのような西瓜より、オーソドックスの丸い西瓜のほうが甘かった。

明日はミラノまで5時間のバス旅だ。また、荷造りしなければならない。外国旅行
の場合、欲張って、1泊だけでアチコチ回るよりも、1カ所に最低2泊はしなけれ
ば忙しくて仕方ない。移動ということは、荷物は少ないけれど引っ越しと同じこと
だ。それによく忘れ物をする。日本国内なら、簡単に連絡できるが、国外の場合、
忘れた物は大概、諦めるしかない。私も、過去に多くの失敗をしている。

今回の荷造りは、私のほうが手早かった。S氏は、疲れてベッドで眠っていたから
だ。今日の山登りとショッピングで歩き回ったのがこたえたようだ。S氏も起き出
して、荷物を詰め始めた。見ていると、丁寧に詰めている。買い物は袋から出し、
キチンと整頓していく。真面目なS氏の性格が現れている。次に、税関申告の計算
を始めた。職業柄、そういうことは整理しておかないと気が済まないらしい。

ベッドに枕銭を置く。欧米では、チップ制度があたりまえになっている。

                        インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.995】著者 I.P  1996/09/23 16:56:39  3004 byte
《コメント先 No.994  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その13>I.P

朝食を済ませて、チェックアウトする。ポーターが少ないので、それぞれがスーツ
ケースをロビーに運ぶ。やがてバスの運転手が、やってきた。荷物を積み込みミラ
ノへ出発だ。空港に迎えに来たバスは、マイクロバスだが、今度は大型だ。8名だ
けでは、もったいない。

松江の男が、前のバスにジャケットを忘れていた。同じバス会社なので、運転手に
本社へ電話してもらう。こちらのバスには、携帯電話がつきものだ。どうやら会社
に保管してくれているらしい。高速道路に乗る前に、会社へバスを回してくれるこ
とになった。

市の中心から、郊外の会社まで、一般道を走る。思いがけず、市民の住居や田園風
景を見ることができた。アパートや、1戸建の家が、閑静な環境の中に建っていて
なかなか住みやすそうなところだった。

バス内は、禁煙ということだったので、バス会社に着くと、飛び降りてタバコを吸
う。待っていると、ジャケットを持ってきてくれた。イタリアも捨てたものではな
い。皆が、今夜のメシは松江のおごりだと冷やかす。彼は、ジャケットがなかった
ので、わざわざ、現地で購入している。日本より、はるかに安い。

いよいよ、高速道路に乗った。初めの間は、皆、風景を見ていたが、すぐに寝てし
まう。和歌山の男なんかは、スヤスヤとお休みだ。今回の旅では、イビキをかく者
と静かな者のペアにしている。不思議なことにイビキ同士では、互いに気になって
眠れないからだ。いずれにしても、静かに眠る者が犠牲になればいいという考え方
だ。私はイビキが酷いらしい。S氏には、迷惑をかけっぱなしだ。おまけにS氏は
喫煙しない。タバコの煙とイビキには、閉口されたことだろう。バミューダからカ
ナダ・エドモントンの旅では、私は和歌山の男と同室だった。今回、和歌山は松江
と同室にした。松江のイビキも相当なものらしい。和歌山はいつも被害者だ。

途中、栗の木を発見。イガグリが実っている。もう秋だなと思う。うつらうつらし
ていると交通渋滞になってきた。とうとう、ストップしてしまう。バスの運転手は
イライラして、禁煙と言っていたのに自分でタバコを吸い出した。こうなれば解禁
だ。我々にもO.Kが出る。やれやれ助かった。5時間もの間、禁煙では身が持た
ない。

バスのドアを開き、横につけたトラックの運転手に情報をもらっている。トラック
には無線があるので、前方のトラックと交信して情報を掴んでいた。事故らしい。
渋滞は6キロほど続いているそうだ。バスの運転手が時間は大丈夫かと聞くので、
大丈夫だと応える。今日は、移動日なので特別の用があるわけではない。

トンネルを抜けたところで、燃え尽きた車を発見した。これが原因だったのだ。ま
だ消防車もいる。対向車線の車を、こちらの車線に回避させている。高速道路のと
ころどころに柵を外した場所があるのは、こういう場合の対策だったのか

再び、単調な道路を快適なスピードで走りだした。途中、頼んでドライブインで休
憩してもらった。コンビニ風の店になっている。コーヒーやジュースを飲み、買い
物をする。私はピスタチオの缶を購入した。富山の男は、こういう時、張り切る。
バナナ、飴等、どっさり買い込んで、皆に配ってくれた。私もピスタチオを少しづ
つ配る。適当な塩味が利いて美味い。あとから、和歌山が、もっと欲しいとやって
きたぐらいだ。このドライブインの入り口には、ジプシーの親子がいたが、何もし
なかった。

                        インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.996】著者 SUMI  1996/09/24 00:23:32  1435 byte
《コメント先 No.986》
『題名』続きを楽しみにしています   SUMI君

 I.Pさんはデュッセルドルフのメッセに行っておられたのですか。
 私もちょうど去年の今ごろイギリス・ドイツ出張で5日間滞在しました。

 K’95と言うプラスチック関係の材料と加工機械を中心とした展示会だったのです
が、あの広いメッセの会場を全部使っての開催で下調べはしていったのですが、とても

見たいところ全部は見る事ができませんでした。 ただ、旅行社が3年に1回のその展
示会に合わせて毎回ホテルをおさえているらしく、メッセから市電で5駅くらいのとこ

ろ(クレバーストラッセとかいうとこ)の便利のいいホテルに宿泊できたのは好運でし
た。 直前に出張が決まったU.K.工場の連中はホテルが取れず、毎日タクシーでア

ウトバーンを1時間くらいかけて通っていました。 大きな展示会のあるときはいつも
市内のホテルは満杯でぼったくり価格に変わると聞きました。そういえば近くのライン

川には臨時ホテルとなる船がいっぱい繋いであったっけ。
 また、炭酸が目一杯入った水とはいえぬ水にも閉口しましたが、水の値段がジュース

やビールとたいして変わらないので、専らそちらの方を飲んでいました。 それから食
べ物の塩気が多いせいか空気が乾燥しているせいなのか分かりませんが、やたら喉が乾

いて痛くなりませんでしたか? ドイツの次はイタリーに行かれたようなので、そちら
のUPも楽しみにしています(ちなみに私どもの新婚旅行はイタリー・スイスでした)。

P.S. IBM ThinkPadをもって行かれたようですが、あれには240Vでも使えるACア
ダプタがあるはずです(私の760は元からそれがついてきました)。

【TRAVEL/MAIN  No.997】著者 I.P  1996/09/24 10:45:34  3150 byte
《コメント先 No.995  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その14>I.P

バスは、ミラノ市街に入った。このミラノの2泊で、今回のツァーも終わりだ。現
地で書き上がっているハズのMSGが、うっかりしたミスでパソコンをアウトにし
てしまっために、帰国してから、ウンウン唸りながらタイプしているが、歳なのか
記憶が希薄になっている。それでも、後になれば尚、一層、忘れてしまう事柄も多
くなるだろう。

今度のホテルは、内装をやりかえたので室内は美しいが、やはり狭い。部屋に荷物
を置いてから、早速、外出した。ここには、地下鉄が走っている。徒歩で5分のと
ころが地下鉄の駅だ。終日券を5000リラ(380円程度)で買う。Tコンサル
タントさんが、前に来た時は、4500リラだったのに値上げになっていると言わ
れる。

赤の線、グリーンの線、黄色の線と、路線図があり比較的、わかりやすい。じっと
路線図を見て、こちらへと誘導してくれる。2つ目の駅で降りるように言われた。
日本で販売されている観光案内には掲載されていない地元の人達が行く商店街に案
内してくれるそうだ。

広い道路の両側に商店が並ぶ。まず、何か食べたい。商店街の一角が凹んで中庭に
なっているような場所があったので入ったところ、喫茶店のような店があった。現
地在住の日本人女性が2名、中庭のテーブルでサントイッチとコーヒーを飲んでい
た。何でもいい。フィルムを買いに行ったTコンサルタントさんの席も確保し、私
は例によって、荷物の見張り番をする。S氏が、サンドイッチやコーヒーを運んで
くれた。中庭には、噴水もあり、見上げる住居の窓は、水色で統一されていた。美
観に敏感なイタリア人のデザインだ。ふと見ると、カメラ屋がある。フィルムも販
売している。T先生は、なかなか帰って来なかった。後で聞くと、ずいぶん先まで
カメラ屋を探しに行かれたらしい。

団体で歩いていても、スリは狙う。ガラス工芸品に入った時、中年の2人連れも店
内に入ってきた。一応、ネクタイもしている。その時は、何も思わなかったが、そ
の店を出て、しばらく歩いていると、富山の男のカバンのチャックが外れていた。
幸い、まだスラれるところまではいっていない。地下鉄に乗ると、その2人連れも
乗り込んで来た。徳島と和歌山がこいつらが怪しいのと違うのかと言う。相手は、
そしらぬ顔で、後ろ向きに立っている。私が、指を指して、こいつらか?と、尋ね
た。後ろを向いていても、気づかれた雰囲気はわかる。次の駅で降りて行った。私
達は、中心街のドゥオーモで降りる。

やはり、ミラノでも、ドゥオーモだ。この周辺に有名ブティックが数多い。また、
ここのアーケードは、天井が高く、日本の商店街アーケードのモデルともなったと
ころだ。売店では、日経新聞や朝日新聞も販売している。そのアーケード内のテラ
スでお茶を飲む。アメリカンコーヒーを注文したがエスプレッソになっていた。チ
ップを含めての割り勘の勘定方は、いつの間にか、S氏の役目になっていた。

有名ブティックに次々と入る。今日は見るだけと言いながら、皆、結構買っている
ようだ。私も、カッターシャツやネクタイ程度のものは買った。S氏が奥様から頼
まれていた店を発見したようだ。児島の男が、S氏は、この2Fにいるよと教えて
くれた。皆は、どんどん先に歩いて行くが、私は、その店の前に立って待つ。2F
からS氏が下にいる私の姿を認めて安心したようだ。レジの勘定に手間取っている
ようだ。後で、この店が問題になるやがて、皆が戻って来た時に、やっと勘
定を済ませたようだ。再び、アーケード街に戻る。どうやら、この一角が日本女性
のあこがれの場所のようだ。

                        インスピ(つづく)


【TRAVEL/MAIN  No.998】著者 I.P  1996/09/24 10:46:51  2418 byte
《コメント先 No.997  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その15>I.P

ドゥオーモの横にテント張りの本屋があるので入ってみた。いろんなジャンルの本
が品揃えしてあるが、日本語の本はない。

歩き回ったので、どこかで休もうと、アーケード街とは、ドゥオーモを挟んで反対
側にある、ちょっとうらぶれた雰囲気の喫茶店に入る。店は、開放でカウンターが
あり、店内にテーブルとイス。ここでエスプレッソを頼む。夕食前だが、Tコンサ
ルタントは、マカロニサラダのようなものも注文した。ボイルしてあるが、半生の
小エビが入っている。勧められて一口。勘定は驚くほど安かった。地元の人たちは
こういうところで食べているのだろう。

夕食場所を探す。ドゥオーモの近辺にイタリアレストランがあった。8名並んで席
を占める。隣の夫婦は、400gほどもあるビフテキをパクついている。さすがに
肉食人種だ。昨夜は、私とS氏だけが、別の場所で食事したようだ。他の者は、ホ
テルで集まり、一緒に出たそうだ。昨夜のトマト風味マルだったので、スパゲティ
には、それを頼む。メインは、ローストビーフだった。他の者は、それぞれ魚やパ
スタなんかを頼んでいたようだ。

ドゥオーモから、今度は、黄色の線の地下鉄に乗り、ホテルに帰る。今回の旅は徒
歩が多い。

ホテルの部屋で、S氏は、再び、買いものの整理に励む。もう、そうとうな分量に
なっているので、スーツケースだけでは納まらない。手提げバッグも購入したぐら
いだ。また、袋から出して、キチンと整理している。ヨーロッパの場合、消費税は
帰国の際、空港で返還してくれるのだが、購入した品物も提示する必要があると案
内に書いてある。領収書と現物を照らし合わせてチェックなんかしていたら、時間
がかかって飛行機の時間に間に合わない。私は、たぶん、書類だけの申告になるだ
ろうと思っている。(事実、そうだった)

そして、日本税関に提出する書類の整理も始めた。サイフの中身をチェックしてい
て、あっ!と困窮した声を張り上げる。どうした?と聞くと、JCBカードがない
と言う。慌てて、KDDにJCBオフィスに繋いでもらって、事故発生、使用停止
の手続きをする。こういう処置は迅速にしなければならない。私のVISAカード
には、写真が刷り込んであるので、落としても、比較的、安心なのだが聞い
てみると、彼もJCBは、普段、あまり利用したことがなく、手数料を支払うのみ
だったそうだ。今回、ヨーロッパ旅行に予備に持ってきたものだ。

たぶん、奥様から指定されたブランドの店の2Fで勘定に手間取っていた時に、返
してもらうのを忘れたのだろう。明日、その店に寄ることにする。明日は、最後の
日なので、昼から全員、自由行動にし、夕刻、時間を決めホテルロビーに集合する
ことになっている。

                        インスピ(つづく)


【TRAVEL/MAIN  No.999】著者 I.P  1996/09/24 11:51:43  2218 byte
《コメント先 No.998  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その16>I.P

今回の旅も最終日の朝を迎えた。朝食は、やはり日本人団体専用場所だ。ハムだけ
は確保しておいて、席に着く。皆、揃ったので、午前中は、どこか美術館へでも行
こうということにする。

地図を見ると、徒歩でも行ける距離に市立美術館がある。また、徒歩かと思いなが
らも歩く。公園の中に入った。この公園の前に美術館があることになっている。犬
の散歩に地元の方が来ていた。糞の始末をしていないので、公園の芝生は注意して
歩く。柵が開いた個所があり、道路の向かいに美術館があった。まだ、開館前で、
守衛さんが後、5分待てという。車でやってくる人もいた。中庭に乗り入れ駐車す
る。ここで、結婚式の記念写真を撮影する家族もいるようだ。

美術館は、入場無料だった。ゴッホはじめ有名画家の作品がガラスケースもなしで
展示されている。あまり近くに寄ると、ブザーが鳴る仕掛けだ。私も目が悪いので
度々、顔を近づけブザーを鳴らした。各展示室には、係員が配置されている。これ
らの費用は国が負担するのだろうか?

代表作はなかったが、1Fから3Fまで、素晴らしい絵画や彫刻が展示され、あれ
で入場無料とは、申し訳ないようだった。S氏は絵が好きで、いろいろ教えてくれ
るが、絵心のない私には、チンプンカンプンだ。

隣の館は、現代アートの展示会場になっていた。こちらは、有料。中に入ると、空
き缶や蛍光灯の、造形物が展示されており、金属を素材とした作品なんかもある。
Tコンサルタントは、現代アートの巨匠だというが、私は、これなら、無料の古典
絵画のほうが値打ちがあると内心、思う。徳島の男も、さっぱり理解できないとこ
ぼしていた。

美術館の近くに博物館があった。ここも入場無料。受付で手荷物を預ける。私は、
サイフやカメラが入った手提げを預けてしまったので、気が気ではない。

野生動物の剥製、恐竜の骨、ゾウガメや巨大な象の剥製、古代の狩猟道具など、数
々の展示物がしてある。小学生の団体が教師の引率で訪れていた。それぞれメモ帳
を片手に熱心に見学していた。

ここで、奇妙なものを見た。

約30センチぐらいの鯉に似た魚の剥製だ。胴体部分は、確かに魚だが、首は人間
あるいは猿そのもの。骨だけになっているが、目玉がギロっと、こちらをにらんで
いる。薄気味悪い。説明のつかないものを見てしまった。デジタルカメラは受付に
預けたままだ。残念。あれは、もう一度、見てみたい。

受付から手提げを返してもらう。中身は無事だった。ほっとする。

                        インスピ(つづく)


【TRAVEL/MAIN  No.1000】著者 I.P  1996/09/24 15:11:56  3874 byte
《コメント先 No.999  このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ドイツ・イタリアの旅その17>I.P

博物館を出たところで昼食の問題だ。Tコンサルタントが、韓国の焼き肉料理を提
案してくれた。店は発見したが、あいにく、定休日だった。仕方なく、その近くの
イタリアレストランに入る。ボンゴレ、ミート、トマト風味のスパゲティ。

で、一旦、ホテルへ帰る者と、そのまま買い物に出かける者に別れた。午後7時半
にホテルのロビーに集合して、最後の食事会を約束する。

私とS氏、それに富山の男の3名がホテルに戻った。ブティックの午後の開店時間
は、午後3時半からだ。富山の男の部屋は、私達の隣だった。約2時間弱は、ベッ
ドで寝転ぶ。足がパンパンに腫れている。

さて、出動だ。今日は、タクシーを使うことにする。フロントに車の手配を頼む。
小型車が、やってきた。富山の男は、どこに行くにもキャスター付のキャリーにカ
バンをくくりつけてゴロゴロ引っ張っている。トランクに入れてもらい、ドゥオー
モへ行く。

さて、着いたものの昨日、歩いた道がわからない。アーケード街は、すぐにわかる
が、どこの道なのか忘れている。昨夜、入ったテントの本屋があったので、やっと
方向を掴めた。

ヴィットリア・エマヌエーレ2世のガッレリーアというのが、このアーケードの名
称だ。ガラス張りの天井が高く、舗道のモザイク模様が美しい。しゃれたカフェや
高級ブティックが並んでいる。

ティファニーで目の保養をしょうと、ドアの取手を持つが開かない。横にブザーの
ボタンがある。警戒厳重だ。「ティファニーで朝食を」というオードリーペップバ
ーンの映画を思い出した。ブリキの指輪に刻印してもらう場面だ。S氏は、小物を
物色する。ヒトデ型をしたシルバーのペンダントなんかもある。イヤリングもしゃ
れたものがあった。

ひととおり回ったが、昨日、JCBカードを忘れた店は、見当たらない。S氏の奥
様は、ラッキーだった。外国では、発見した時に買っておかないと、買いそびれる
ものだ。

再び、アーケード街に戻ってきた時、中年の日本人女性の団体に、ミラーションの
お店は、どこですか?と質問された。S氏は、即座に、そこですと教える。よく見
ているものだ。

アーケード街に焼き栗を売る屋台があったので1袋、買い求めた。日本の栗と同じ
味だ。

富山の男は、部屋の装飾品を物色している。S氏が、画廊がアーケード街にあるの
で、案内していく。彼も絵を購入するつもりだ。額に入っているが、絵だけでも売
ってくれる。富山の男は、額と共に購入して、キャリーにくくりつけていた。S氏
は、絵だけを外してもらっていた。

アチコチで購入した、サミットバッグが増えている。高級品の店のものばかりだ。
もう、買い物も、このあたりでいいだろう。タクシーを拾ってホテルへ帰る。

買い物の整理をしていると時間になった。ロビーに降りると、松江の男が帰ってき
た。彼は、9月9日にアメリカから帰国し、12日から我々のツァーに参加してい
る。今夜の食事は、日本食にしようと根回しする。どうも気がすすまない。明日は
帰国するのだ。何も、ここまで来て、日本食を食べなくてもいいだろう。今夜は、
中華を予定しているが、松江は、なかなか諦めない。そうだ、と言って、手書きの
レポートを提出してくれた。私が、今回の旅行のスタートに、皆に要求したものだ
が、私のパソコンがアウトになってからは、強く要請できなくなっていた。

このレポート提出で、私も、半分、彼の提案の日本食に付き合ってもいいかなと思
い直した。

そうしている間に、沢山の荷物を抱えて、皆が帰って来た。あー、よく歩いたと、
言っている。とりあえず部屋に戻って、荷物を置いてきてもらう。

ホテルのロビーで、今夜の食事の件で相談が始まる。中華、日本食、イタリア料理
等、皆、バラバラだ。レポートを貰った手前、私が日本食で妥協した。それで決定
し、ホテルから、徒歩で地図を見ながら歩く。地図が間違っているのか1筋、異な
っていた。赤ちょうちんの店だった。店頭の価格表は、思っていたよりも高い。こ
んな店は、やめにして、すぐ近くにある中華の店に入った。松江の男は、残念そう
だが仕方ない。

先客の食い散らしたテーブルを手際よく片ずけ、我々の席を作ってくれた。中国系
の人達は、日本人と同じで仕事が敏速だ。

中華なら、何を食べても味、価格とも安心だ。焼きギョウザ、ハルマキ、酢豚、エ
ビのチリソースETC やはり、中華料理は、どこの国で食べても、ハズレがない
ものだ。

明日は、いよいよ帰国だ。

                     インスピ(完)