アーカイバのようなエッセイ     すがや みつる


    『アーカイバのようなエッセイ』
すがやみつる(マンガ家)

 ぼくの左足は、生まれたとき、かかとから内側に曲がっていたそうだ。そのために生まれて50日目に、静岡から東京の病院に出かけて手術を受け、その足をのばしたという。
 小学生の頃までは、走ろうとしてもまっすぐに走れず、跳び箱をしてもバランスが崩れてしまい、うまく跳ぶことができなかった。いまでも、和式のトイレに座ったときは、足首が曲がらないために、壁に手をついていないと、後ろにひっくり返りそうになる。
 だから子供の頃は運動会なども大嫌いで、足が痛いことを理由に徒競走などをさぼることもあった。ビリになるのがわかっていて、走るのがいやだったからだ。
小学6年生のときには父親が倒れて寝たきりになった。母親一人の働きでは、高校にいくことも無理だろうと、好きで描いていたマンガで生活できないものかと考えてばかりいた。だが、親戚の人たちが援助してくれて、高校だけにはいくことができた。
 本当は、マンガに役立ちそうな製図をやる工業高校にいきたかったのだが、工業高校にいくには、列車通学になって交通費がかかってしまう。それで一番近い普通高校にいくことになった。それも大学進学率が100パーセントの進学校だった。
 最初から大学にいく意志がなかったため、高校では、はみ出し生徒になった。クラブは水泳を選び、体を鍛えるために毎日泳いでいた。水泳なら多少の足の不自由さも関係なかったし、マンガ家という職業は、徹夜ばかりで体力が勝負だとマンガ家の入門書で読んでいたからだ。おまけに、泳いでいるあいだは、目標のタイムや距離を達成することだけを考えるのが精一杯で、父親が寝たきりで陰鬱だった家のことなども忘れさせてくれた。
 同級生たちが大学の受験勉強に明け暮れている頃、ぼくは、せっせとマンガを描いては東京に出かけ、マンガ家の先生や、出版社に見てもらっていた。おかげで、高3の夏休みには、親に内緒で、マンガ家の先生のアシスタントになることを決め、3学期になると、卒業式も待たずに上京して、アシスタントの生活を始めた。
 アシスタントになると同時に目標を立てた。
 同級生が大学を卒業するまでの4年間のあいだに、マンガ家として自立すること。同年齢のサラリーマンよりは多い収入を確保すること。30歳までには自分の家を持つこと。学歴コンプレックスと、ボロ家に住んでいた劣等感とが丸出しの目標だった。そんな自分で設定した目標を意地になって追いかけ、なんとか、その目標を達成することができた。しかも漫画賞を受賞するというオマケまでついていた。
 とたんにむなしさが襲ってきた。一瞬のゆとりができ、ふと一息ついたところで、自分の歩いてきた道を振り返ってしまったのだ。
 売れそうなマンガを描くことばかりに熱中し、お金を稼ぐことばかりを考えていた。本当に、これでよかったんだろうか?そんなことを考え始めたために、迷い道に踏み込んでしまったようだった。それ以後の目標がなかったのも原因のひとつだろう。
 自動車レースに入れ込んでみたり、パソコン通信を始めてみたりしたのも、いきあたりばったりだった。目先の興味だけで行動するようになったのだ。
 ただ、1985年から始めたパソコン通信は、それまで、出版社や同業者くらいしかつきあいのなかった僕の視野を広げさせてくれることになった。年齢も職業も様々な人たちとパソコンを通じて知り合い、あるいはそれがきっかけになって、直接会う人も多くなったのだ。
 そんな中で、いろいろな人のいろいろな考え方、いろいろな生き方をも知ることになった。とくに印象的だったのは、アメリカ人たちの仕事や生活、そしてボランティア活動などに対する真摯な態度だった。片意地張って、しかも、すねながら生きてきたおかげで、以前は、そんな生き方をしている人たちを見ると、目をそらすのが常だった。もっとも、これは、僕だけではなく、大方の日本人に共通していることかもしれないが。
 真剣に生きる、まっすぐに生きる……そんな人たちをみると、まぶしく感じる反面、とかくそれを?揄しがちだった。また、そんなことを口に出したりすることも照れくさい僕でもあった。しかし、実際にそんな生き方をする人たちと交流するうちに、少しずつではあるが、それが変わってきたように思う。 そんなこと、そして子供の頃からのことを改めて思い出させたのは、姫路からフロッピーで送られてきた「はりまタウンネット」の連載エッセイだった。パソコンの画面で読んでいくうちに、僕は、自分が同じ年齢だった頃のことを重ね合わせて思い出していた。このエッセイを読まれた人は、皆さん同じだったのではないだろうか。
 パソコン通信では、ファイルのやりとりの時間を短縮するために、ファイルを圧縮するプログラムを使うことがある。アーカイバと呼ばれるそのプログラムは、ディスクのスペースを節約するためにも使われているが、僕の心のディスクの中にも、圧縮され冷凍保存されたままのファイルがありそうだ。そんな圧縮し冷凍保存されたファイルを、これからでも解凍できるかもしれない。おそらく、それが、僕が迷い込んでいる迷い道からの脱出の手がかりになるだろう。もしもそうなったらば、「ing…見えない頂上に向かって」は、僕にとってのアーカイバのひとつになるだろう。アーカイバには、ファイルを圧縮するだけでなく、圧縮されたファイルを元に戻す機能もあるからだ。