1996年の4月に、幼友達と九州の温泉地巡りをした折りのものです。



【TRAVEL/MAIN  No.918】著者 I.P  1996/04/30 01:08:01  2724 byte
『題名』48時間その1>I.P

数ヶ月前から、4月27日から2〜3日は、体を空けておくようにと申し渡されてい
た。U氏のモーターホームを利用して気のむくまま旅をしようというのだった。行き
先未定でスケジュール調整だけしておけばいいのだから、こんな気楽な旅は他にない
と思う。

なにしろ、モーターホームというのは、パーキング場さえ見つければ、どこだって眠
れる。宿の予約なんて気にする必用もなければ、電車やバスの時刻も関係ない。食事
すら、気の向くままだ。いわば、自動車放浪の旅とでもいうものだろう。

いよいよ出立まじかになって、U氏から27日は、午前11時半に診療所前へ来てく
れとの連絡が入った。午前中にどうしても治療する必用のある患者があるというのだ
ろう。歯科医も大変だ。それからモーターホームの駐車場に行き、私の車と入れ換え
て出発するという。これならドアTOドアの旅になる。観光バスなら土産物を購入して
も駐車場へ運ぶ手間を考えたら、あまり重いものは買えない。今回は、そんな心配も
無用だ。

私が加わったからといって、私はハンドルを握るわけではない。なにしろ、5ナンバ
ーの車から3ナンバーの車に乗り換えた時でも、モータース屋の社長に半日、運転指
導を受けた身だ。モーターホームなんて、どでかい車を運転できるハズもない。

今回のメンバーは、中学時代からの付き合いがあるM氏と3名だ。お互いに気心は知
り尽くしている。それぞれ、いまが中年、真っ盛りといった年齢になっている。会え
ば、時代が逆戻りして、それぞれ昔のままの名称で呼び合うという仲だ。何も飾る必
用がない仲間というものはいいものだ。そんな友人と共に旅をするというのは得難い
体験となるだろう。そのM氏とU氏がハンドルを握る。私は、後部ソファーで寝転ん
で邪魔にならないようにするだけでいい。

なんとなく九州方面へ行くということだけは聞いていた。11時半に私に来てくれと
いうのは、U氏の都合だけでなく、M氏の事情も考慮し、さらには、徳山からのフェ
リー予約時間をも睨んだ上の時間設定だったようだ。どうやら、私の知らないところ
で、あれこれスケジュールを組んでくれていたようだ。M氏の自宅へ迎えに行くとM
氏の母上が赤飯を用意してくれていた。フェリーの予約時間だけが、今回の旅の唯一
の決められた時間だった。なにしろ、ゴールデンウィーク初日、道路事情はわからな
いが、これで昼食時間を心配しないでも済む。やはり年配者の心配りだ。私も昔から
迷惑をかけ通しだったので、この母上には頭が上がらない。まるで息子みたいなもの
だ。

この旅の切っ掛けとなったのは、昨年の忘年会だったと思う。毎年、この3名だけの
忘年会をし、カラオケポックスでへたな歌を披露し合う。年に一度のカラオケ発表の
場だ。皆、あまり上手な部類には属していない。かろうじて、私が一歩だけ抜きんで
ているだろうか。その場で、たまには2〜3泊の旅をしようと話が出た。こういう話
は、男の場合、即、決まってしまう。具体化するのも早いまるで、このネット
のアウトドアシグオペT.K氏の手際の良さに似たところがある。

                                                      インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.919】著者 I.P  1996/04/30 01:09:46  3321 byte
『題名』48時間その2>I.P

姫路から離れる距離とともに、休暇気分が高まってくる。この日の為に、前々から予
定を調整していたのだ。完全休暇にしたいものだ。そうはいっても国内旅行。携帯電
話も一応は持参している。

徳山で高速を降りた時は、時間に余裕があった。ところが途中で道を間違えたようだ。
Uターンしてフェリー乗り場に着いたら、コーヒーを飲む時間がなくなっていた。な
にしろ、皆、老眼が進んで、地図の字が読めないのだ。こんなことなら、拡大鏡持参
すれば良かった。特に、地図の文字は色調が薄い。さらに字が小さい。互いの齢を再
認識させられてしまった。

フェリーの乗船率は6割程度だった。連休初日にしては空いている。これから2時間
は海上で過ごすことになる。椅子席と、ごろんと横になれる区画がある。当然、ごろ
ん派にした。M氏は、ぎっくり腰を患っているので、今回の旅の主な目的も各地温泉
巡りとしたようだ。私は、どこでも良い。付いて行くだけだ。この身を2日間、君た
ちに預けるよと言ったら、若い女性にそう言ってもらうと確かに嬉しいが、君を預か
っても仕方ないと言われてしまった。従って、今回の行程を一番、把握できていない
のは私だけのようだ。国東半島に着いてから別府に向かうという。休息と運転距離の
短縮がフェリー利用の効果のようだ。

船内で、見えにくい地図を持ち出して、U氏とM氏が、あれこれ相談していると横に
いた兄さん(30才代だと思われる)が話に割り込んできた。道順についての情報を
教えてもらっていたようだ。M氏とは、釣りの話までしている。私は、そういうこと
には口出ししない方針なので、寝転んで、椎名  誠、木村普介、沢野ひとし、目黒孝
二達の中年仲間のヨタ話を読んでいた。目黒孝二氏は、別にして、椎名氏、木村氏、
沢野氏の3名の付き合いの歴史は、我々3名の付き合い方と似ているところがある。
子供の時のまま中年になったところなどは、そっくりと言っても過言ではない。

想像していたように、船内にいる時、T.Kさんから携帯電話に連絡が入った。U氏
がこのモーターホームを購入する時、随分と相談に乗って貰ったのだ。

外は風がきつい。瀬戸内海航路は、陸地の明かりが、ずーと続いているので、安心感
がある。太平洋に出ると、前後左右、見渡しても海だけといった状態になる。これは
不安なものだ。ADAMさんなんかは、慣れっこになっておられると思うけど

たった2時間でも、横になって休むと随分、違う。気分新たに、別府へと向かった。
まず、温泉だ。温泉地だから、24時間中、どこか入れるだろうと思っていたのが甘
かったようだ。鉄輪(かんなわ)温泉という門が立っていて、そこから温泉街がずー
と続くのだが、一番最初の湯(ひょうたん温泉)が雰囲気が良かった。庭園から湯煙
が立ち上っている。おそらく露天風呂なのだろう。一般入浴も可と記してある。モー
ターホームも外の駐車場へ楽々止められる。やれやれ、これで人心地つけると勇んで
タオル片手に車を降りた。時間は午後9時半を回っていた。夕食もまだだ。風呂上が
りにビール、夕食というコースを頭に描いていた。

一般入浴も可と書いてある看板を、もう一度確かめてみた。夜は、午後8時までとな
っていた。ガーンと頭を一発、殴られたような気がした。湯の町、別府のど真ん中に
来ていながら、今夜は風呂に入れないのかむーん、残念。こんなハズではなか
った。

フェリーを下船したところから、ほんの6キロほどのところに、なんとか温泉という
のがあったが、欲を出して別府まで足を伸ばしたのが失敗だったか少しはガッ
クリしたが、こういう場合の頭の切り替えも早い。なにしろ昼食の赤飯だけしか食べ
ていない野郎が3名も揃っている。

                                                        インスピ(つづく)


【TRAVEL/MAIN  No.920】著者 I.P  1996/04/30 01:11:16  3315 byte
『題名』48時間その3>I.P

風呂を諦めたら、腹の虫が黙っていない。風呂上がりのビールは諦めたが夕食前の
ビールまで諦める必用はない。モーターホームを後戻りさせ、パーキングのあるレ
ストランを物色して回る。確か、焼き肉の店があったと思った。ところが、車高が
高くて1階のパーキングには入れない。店の前に車を止めて、どこか平面の駐車場
はないかと探していたら、その店の案内係りが、すっとんで来た。道向かいのパー
キングへと案内してくれる。ぎっくり腰のM氏を店の前で降ろし、車を収める。可
哀相に、道一つ隔てた距離を歩けない程、腰が痛いようだ。おまけにその店の階段
を上るにも手すりを持たなければならない

パーキング係りの方に、夜遅くまで入れる温泉はありませんかと訊ねる。あります
よと力強く答えて貰った。神は、我々を見放してはおられなかった。希望が湧くと
食事も楽しいものとなる。土日祭日はオールナイトで通常は午前2時まで営業と聞
いて、すっかり安心した。温泉上がりのビールのほうが正しい有り様だが、この時
は、湯を諦めていたのに、正しい情報により、湯に浸かれることになったのだ。贅
沢は言えない。

腹を空かしていれば、なんでも美味しいものだ。カルビに少し難点があったが、お
おむね丸で、勘定書きには二重丸をつけてあげたくなるようだった。やはり本州と
は物価が違うようだ。我々が階下に降りると、先ほどパーキングの案内をしてくれ
た方がドライブガイドを持って待っていてくれた。それによると、鉄輪(かんなわ)
の温泉街よりもう少し先に風月というビジネスホテルが経営する湯がある。駐車場
も広く、モーターホームもO.Kだ。とにかく、今回の旅は、パーキングがポイン
トだ。どこに移動しても良いが駐車場がなければ勝負にならない。

風月湯の入浴代金は、6百円だったと思う。小さなサウナがあり、水風呂もある。
風呂は、地下200メートルのところが源泉で摂氏98度の熱湯が湧き出している。
地上に出ると、丁度良い湯加減となるようだ。露天風呂もあり、うたせ湯もあった。
蒸し風呂は5分と入っておられないほど熱い。すっかり諦めていた風呂だけに、た
っぷりと堪能した。やはり地元の人に聞くのが一番、正確な情報を入手できる。カ
ラオケ1時間歌い放題500円というのに食指が動くが、他の2名は、そんなもの
は年に1回だけで充分だという顔をして、取り合ってくれない。まぁ、仕方ない。

誰でも、旅に出ると、一番最初の確認は、自分の宿泊部屋だろう。まず、部屋に通
り、お茶とお菓子で、これが今夜の宿舎かと我が身に納得させる。そして、しっか
りと部屋番号を頭に覚えこませる。でないと館内迷子という、実にしまらない状態
となる。今回は駐車場所だけの確認で良い。しかも、滅多にない車種だから間違え
ようがない。

風呂を上がり、さて、何処をねぐらとしょうかと相談が始まる。ハンドルを持たな
い私の出る幕ではない。どうやら、湯布院手前のパーキング場と決定したようだ。
高速道路を走るというのは、実に味気ない。何処を通っても、日本中、同じ車道に
しか見えないものだ。従って、寝転んで本でも読んでいたほうがマシというものだ
。もっとも、その特権は私だけのものだ。他の2名は、運転にナビゲートに真剣そ
のもの。ここらに性格の相違が歴然と現れている。

湯布院手前のパーキング場には、同じようなモーターホームが4台とフェステマク
ラスのライトバンも数台、乗用車も数台駐車していた。ここで夜を明かすつもりだ。
トイレに24時間体制の自販機が設置してある。煌煌と夜通し明かりが点っている
休憩所も有り難い。誰かのイビキに閉口すれば、本持参で逃げ込めばいい。今年初
めての半袖姿だが、寒くはない。やはり南国、九州だ。

                                                       インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.921】著者 I.P  1996/04/30 01:12:38  3367 byte
『題名』48時間その4>I.P

このモーターホームは、6名分のベッドが備わっている。運転席の上には、Wベッド
があり、真ん中に応接セットがある。これは、Wベットにもなる。後部に、二段式の
シングルベットがある。これで6名分。冷蔵庫、調理場、シャワートイレと狭い車内
に効率良く配置してある。さすがに欧州車だ。

湯布院手前のパーキング場で寝床設営にかかった。実に機能的にできている。応接セ
ットのテーブル部分が寝床になり、背中のクッションがベット床となる。コールマン
社製のシェラフ(寝袋)をかけ布団とする。U氏は、運転席上のベッド、ぎっくり腰
のM氏を真ん中のダブルベッド、私が後尾のシングルベッドという布陣となった。
私のシェラフは、U氏からの連絡でトポスで購入したものだ。ADAMさんに紐をか
けて貰ったままのものを持参した。

M氏は、宣言する。イビキでは人後に落ちない。ある程度、覚悟しておいてくれと。
私もイビキなら自信がある。並のイビキなら気にならない。気軽に、いいよと返事
する。

気の毒なのは、U氏だ。彼は、まったく静かに眠る男だ。二人のイビキ攻撃には耐
えられないと思う。運転席上部にはカーテンの仕切りがあるが、そんなもので音は
防げないだろう。

運転とナビゲート、さらには夕食時のビール、湯上がりという条件は、彼らをすば
やく眠りに付かせた。道中、すべて他の2名に任せ、そういう負担から免れ、ほと
んど横になって休んでいた私は、なかなか眠れたものではなかった。仕方なく、本
を読んでいたが、M氏の発する轟音は宣言するだけあって、なかなか迫力がある。
とうとう、自販機のある休憩所へと避難した。誰もいないのに、まぶしいくらい明
るい。4連の椅子に横たわり本の続きを楽しんだ。

車に戻り、寝ようと思ったが、またしてもM氏のイビキ。そういえば、彼が社内旅
行か何かの時に、彼の会社の社長と同室で寝たことがあったらしい。それから数日
して社長に呼び出され、小冊子を読めと渡されたそうだ。それは、新幹線のグリー
ン席に備わっているもので持ち帰り自由となっているものだそうだ。記事の内容は
、イビキ対策特集で、こうすればイビキが直るとか、そういう類いの記事が大半だ
ったという。その社長も、彼のイビキの被害者となったようだ。ちなみに、この社
長もサンガーデンジムの常連で、山崎サツキマラソン、小豆島マラソン、城下町マ
ラソン等に出場されている。

彼も時々、その社長のお伴で、社長がジムでトレーニングしている間中、サウナや
風呂を浴びている。たまには、運動しろよと私が言っても、腰痛を理由に、体を動
かそうとはしない。それでは、ますます体が固くなってしまうのに

旅行初日の終わりにあたって、U氏が、このモーターホームを購入した経緯を思い
返してみた。ある日、やはりこのメンバーで姫路市役所裏の焼き肉屋で夕食を共に
していた時、U氏が突然、モーターホーム購入を考えていると言った。私は、それ
までに、T.Kさんのハイパーに何度もお世話になっている。NAME先生ともW
ベッドを共にしたこともある。(何か、変な表現だなぁ)もちろん、ADAMさん
の料理も堪能しているし、ネットのアウトドアといえば、あのハイマーが定番とな
っていた時だ。その場で、T.Kさんを紹介すべく、MOVAを取り出したのが、
U氏とT.Kさんの最初の声の出会いだった。

それからというものは、このモーターホーム購入の件については、すっかりT.K
さんに下駄を預けてしまっていた。夜中に、T.Kさんから、長大なFAXが届い
たり、直接アドバイスを受けたり、モーターホーム見本市に付き合ってもらったり
と、献身的な世話になっていた。購入後は、運転指導を受けたりしていたが、やっ
とU氏も独り立ちできるようになった。その証が今回の旅なのだ。

                                                       インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.922】著者 I.P  1996/04/30 01:14:00  3465 byte
『題名』48時間その5>I.P

とうとう、M氏のイビキ攻撃に敗退して、朝方の2時間弱寝ただけで目が覚めてし
まった。朝日の出が素晴らしい。真っ赤な大きな円が、ぼやけた空にくっきりと浮
かんでいる。世界の夕焼けシリーズをテレビで見たが、まるで夕焼けのような日の
出だ。直視しても、目がつぶれることはない。

U氏も、昨夜のイビキは凄かったね、と、起きてきた。当のM氏は、職場が市場だ
から朝の早いのは慣れている。顔を洗い、道が空いてる間に、湯布院の朝風呂に入
って、阿蘇へ行ってしまおうということになった。

湯布院というのは、有名だが、我々は誰も行っていない。こんなに朝早くから開い
ている湯があるのかと思ったが、U氏は、雑誌などで調査済みのようだ。午前6時
に銭湯というより、町が、ほとんど無料で開放しているような処があった。管理人
はいなくて、入り口の中央に、入浴の方は、維持費として、百円以上を置いて行っ
て下さいとの案内があり、さらに二階の休憩室を利用される方も百円以上の寄付を
頼みますと看板が立っているだけだ。湯布院の湯に浸かるだけというのが趣旨だっ
たから、こういう場所で目的は達する。

素早く、入浴を済ませて、阿蘇へと向かう。途中、筋湯温泉というのに寄った。こ
こも管理人は留守で、前の土産物屋で入泉料を払うしくみになっていた。4百円。
文字通り、筋のようになった滝が、うたせ湯となって両肩に具合良く当たる。肩凝
りにはもってこいだ。M氏は、ここで、うつぶせになり肩から腰、お尻まで、圧の
あるうたせ湯を堪能していた。その様子は、まるでトドが寝そべっている様に似て
いなくもない。

また、この筋湯温泉でなら、デジタルカメラで撮影できるとカメラを持ち出した。
これは、私が、QV10をM氏宅で披露した時、テレビに接続してのデモンスト
レーションをしたので、M氏も購入したものだ。しかも、私のより新型を入手し
ている。機械音痴のM氏は、息子から私のmovaに電話させ、メーカー名を確
かめていた。多分、その息子に買いに行かせたのだろう。で、トドではない、我
々の珍しい裸体を撮影できたものだが、デジタルカメラだから、撮れたのであっ
て、フラッシュを焚く普通のカメラでは難しかったと思う。そんな写真は誰も見
たくないと思うが、我々3名にとっては貴重な記念品だ。

阿蘇へ向かう道は、くねくねと曲がっている。まるで船のキャビンの中のように
物が散乱する。そんな中で、パソコンを取り出した。先ほどの貴重な画像を収録
しておく為だった。私が、唯一、U氏に注文を出したのが、このコンセント確保
の問題だ。ちゃんと用意してくれていた。ガムテープも積んでいる。テーブルの
上の物には、なんでもこれで接着しておくと、多少の揺れでは落っこちない。パ
ソコンのケーブルも本体も固定しておく。M氏のQV10の画像を一括収録した。
まだ20枚だった。今回の旅の分は10枚だ。

再び、後部ベッドでうたた寝していると、車が止まった。阿蘇の全景が一望でき
る場所だった。昭和天皇と皇后陛下が、阿蘇の風景を遠望された場所という碑が
立ち、その前に簡単なお土産物屋がある。店頭に、見栄えの悪い夏ミカンのよう
なものが出ていた。

私は、旅に出ると、必ず果物を買っている。外地でも同じだ。部屋の冷蔵庫に果
物があるのとないのでは、雲泥の違いがある。なんとなく安心できるのだ。今回
は、モーターホームだけど、冷蔵庫はある。公金で購入しようよと提案した。公
金というのは、今回の旅の始めに、それぞれが同額の現金を出し合い、ビニール
の袋に入れた金のことだ。


会計は誰でも嫌なものだが、今回は気心の知れた者同士だ。袋につっこんだ金か
ら必用な経費を支払い。釣り銭は、そのまま袋に戻す。いちいち、収支の計算は
しなくても、袋の金が無くなれば、平等に追加するという方式で、ビニール袋を
会計と呼んでいる。

従って、公金とは、ビニール袋の中身のことだ。

                                                     インスピ(つづく)



【TRAVEL/MAIN  No.923】著者 I.P  1996/04/30 01:17:19  3178 byte
『題名』48時間その6>I.P

夏みかんに似たミカンは、見てくれは悪くても、味はなかなかのものだった。どうい
う種類のものかは不明。

阿蘇が遠望できても、なかなか近くに着かない。ほとんどが草原で、ゆるやかな裾野
が広がっているのだ。なだらかな起伏は、優しさすら覚える。牧場になっているのだ
ろう馬や牛が放牧されているようだが、我々の視力では確認できない。

やがて、車が止まったのは、阿蘇のふもとだった。観光の乗馬風景を確認できた。朝
早く移動したので、まだ混雑していない。しばらく、草原に身を横たえ、壮大な風景
の一部と化す。約、10分程度。M氏が、頂上が混雑する前に登ってしまおうと提案
する。

ロープウェイもあるが、車でも登れる。トーチカのような避難所が所々に設けてある。

火山灰の落下に備えたものだが、あんな程度では、溶岩は防げない。まだ、煙が立ち
昇る火口を見ただけで、早々に立ち去った。U氏は袋に火山岩を拾っていた。持ち帰
ってもよいものかどうかは知らないが、バーベキューの時に使うのだと言う。

昼食は、奥阿蘇の「清風荘」だった。ここは、湯治場といった雰囲気がある。パンフ
レットに「阿蘇路の旅の総仕上げは、奥阿蘇地獄温泉  清風荘」という見事なキャッ
チコピーがある。旧家風のレストランがあり、流れる水がたらいに乗った注文の品を
運んでくる。野鳥いろり焼き  曲水庵という。照明は暗く、囲炉裏に串刺しの鳥(す
ずめ、うずら、鴨)獣肉(猪、牛)魚(岩魚)味噌田楽(こんにゃく、小芋、豆腐)
等が満載されている。それぞれが、円形の金具に差し込み、火芯に斜めに立てかけて
おく。なかなか焼けない。U氏は、岩魚の「せごし」というのを注文した。刺し身の
ことだそうだ。

入り口の水槽に、いずれ人間様の餌食となるのも知らない岩魚が泳いでいた。ここの
料理が、今回の旅の中ではハイライトとなったようだ。こんなにゆっくりとした昼食
も珍しい。なにしろ、よーく火を通しておかないと、不安だから、焼きあがるのをじ
っと待っていたという事情もある。

入泉料は、4百円で3種類の湯が楽しめる。なかでも、露天風呂の「すずめの湯」と
いうのは、混浴だそうだ。まずは入らなければなるまい。坂道を下ると、粗末な番所
があり入泉券を確認する老人がいた。男女の脱衣所は隣どおしで、古びた小屋だった
。屋根の下には多量のトウモロコシがぶらさがっていた。干しているのだろうか?

一歩、外に出ると、いきなり混浴だ。湯治場の雰囲気そのままで、昔の娘さんが、あ
っけらかんと地元の男達と談笑している。M氏などは、この温泉の効能について、そ
の話の輪に入っていた。泥を体に塗りたくり、乾くまで外気に当たっていてから湯に
浸かるというのが正しい入浴方法らしい。私は、そんなことお構いなしに、いきなり
体を沈めた。硫黄の匂いがプンプンする、泥色の湯だ。体の芯からあったまる。

一旦、車に戻り、昼寝をすることにした。窓という窓を開放して風を入れる。湯上が
りの心地良さで、小一時間、ぐっすりと眠れた。M氏のイビキも気がつかないほどだ
。昨夜から数えて、もう4ケ所の湯に入っている。温泉ギャルという言葉が流行して
から随分、時が流れているが、我々、中年も、やっと温泉に目覚めたようだ。流行か
ら遅れるのも中年の特性だ。M氏が起き上がって叫んだ。足が上がるようになった。
と喜んでいる。半信半疑だったが、本当に、伝い歩き程度しかできなかったM氏も、
手すりを持たなくても階段の昇降ができるようになっていた。誠に驚くべき温泉効果
だ。

今回の旅で、一番の恩恵を得たのは、どうやらM氏らしい。

                                                          インスピ(つづく)

【TRAVEL/MAIN  No.924】著者 I.P  1996/04/30 01:18:28  2179 byte
『題名』48時間その7>I.P

昼寝してから、再度、別の湯に入ろうという計画も、止めにして、少しでも帰路を稼
ごうということにした。どのルートをとるのかは、彼らに任せ、私は後尾ベッドの人
となる。ある程度、走ったところで、M氏が運転交代前の休憩の為、私と入れ替わっ
た。U氏の運転も安定している。T.Kさんの特訓を受けていた時の、まどろっこさ
はもうない。そんなことを考えていたら、M氏が電話が鳴っていると私のバックを手
渡してくれた。T.K氏からだ。今、どこ?  まだ、阿蘇にいると思っていたようだ
。U氏の運転ぶりを報告する。

次に車が停車したのは、道端の果物屋だった。熊本に近い。アマ夏と熊本大学農学部
が品種改良したという楕円形のサツマイモを土産に公費で購入していた。普通のサツ
マイモも並んでいたが、比較しても、随分と変わっている。

福岡で高速を降り、一般道を北九州市へと向かう。どこか健康風呂でも入って夕食し
、帰れるところまで、帰ろうという計画だったが、健康風呂はなかった。あきらめて
「うどん屋」に入る。旧国道になら健康風呂はあったようだ。諦めて、再び高速に乗
ったようだが、私の記憶は、この夕食を境に途切れている。また、熟睡の世界をさ迷
っていたようだ。

目覚めると、どこかのパーキングエリアだった。もう本州までもどっていた。顔を洗
ってというので、彼らも、この場で寝たようだ。朝食は広島のアンデルセン本舗が経
営するレストランということになっていた。私は、この旅に関しては、ハンドルを
れないので、付録のような存在だ。どうでも良い。車に乗っているだけの身分だ。寝
ていれば済む。こんな気楽な環境があろうか。意思決定一切関係無しの世界がここに
あった。実に感動すべき旅だ。

それも、もうじき終わろうとしている。姫路に近づくに従って、夢の世界から現実の
世界へ戻って行くような気になる。童心に帰っての2日間、まるまる48時間の休暇
であった。それでも、この旅の締めくくりとして、姫路青山にある「ゆうゆうプラザ
」に寄ったことも記しておこう。まったく、風呂巡りの旅でもあった。

帰宅してから、この旅行記を書き始めたが、どうにか書きあがったようだ。まだまだ
、書きたいことも多々あるが、こういう駄文は、もうこれくらいでいいだろう。我々
3名の記録として残しておきたい。

また、このだらだら文に付き合って戴いた、ネットの皆さんにも、感謝します。

                                                     インスピ(完)

ありがとうございました。感想など頂戴できたら嬉しいです。