「歴史小説」

 小説家と言う者は、虚構を作文する者達だと思っていた。いま、読み進めているのは、宮城谷昌光さんの作品だ。その上、中、下の三巻ある、その中にとりかかったところで、インターネットの『検索」をしなければと、がばっと寝床からおきあがった。
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 よく、諺とか格言があるが、出典も知らずに、当たり前の言葉として、長年、自分で使っていた「言葉」が間違っていたのかと、焦ってしまう場面に出くわしてしまった。こんな時は、昔の時代の人なら、文献に頼るだろうが、今は「検索サイト」がある。出典ということになると、「オメメ」先生に聞くのが、昔のパソコン通信時代゛ったが・・・

 それは、「覆水、盆に返らず」という言葉だった。誰でも、この言葉を聴けば、人間関係のこじれたものは、なかなか元に戻せないというような意味あいだと疑わない。太公望と聴けば、釣り人関係の方は、すぐにピンとくるものがあるが、実態を知るのは、小説を読むに限ると思い、いやいやながら上巻だけ借りてきたのだが、つい面白そうだと中、下も追加で借りてきて、中の最初のところで、この諺は、間違いだとの指摘があり、慌ててパソコンを
立ち上げた。 事実は、小説より奇なりといわれているが、宮城谷氏の作風では、その逆になっている部分もありそうだ。また、事実は〜を検索してみたら、多くのヒットがあった。どれに外部リンクを設定するのがいいか随分、迷った。中には、かなり面白いものもあったが、無難なものを選択した。

 このように、普段、我々が普通の言葉として利用している諺でも、指摘されてみると、慌ててしまう場合が多くある。本当に、「世の中、自分の知っていることより、知らないことのほうが圧倒的に多い」ものだ。

 歴史小説を書かれている作家は、史実をよくよく、調べあげて、自分の創作として、物語を創り上げられているので、まるで、学者のようなものだと思う。吉岡英治氏の「宮元武蔵」では、武蔵の幼少時代に、悪さをして、杉の木に吊るされた場面は、大聖寺門前の大銀杏の木が、モデルになっていた。実在の人物だったが、物語は、作家の頭の中で、創作されたものだと誰でも理解しているが、後世に残る作品が、それがし事実であったかのように伝承されていくのだろう。中国の三国志も、最近、魏の曹操の墳墓が発見されて三国志演義、が事実に基づいていると証明されたようだ。 こんなものが、インターネット上にあるなんてしらなかった・・・


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