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[本について・・・]
我が部屋の書棚には、山岡荘八の「徳川家康」の全18巻が、置いてある。これは、私が小学生の頃と、中学生の頃に通読したものだ。途中は、文庫本でも読んだこともある。社会人となって、いわゆる『大人買い」したものだ。
気に入った本は、人生の中で、3回は、読めと、学校の先生に言われていたことを律儀に守っている。あと、1回は、読むつもりで購入しておいただけになってしまった。もう、残りの人生も段々と少なくなっているのに・・・
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本というのは、この山岡荘八の例でも解かるように、最初は、新聞の連載小説等から、始まって、ある程度の分量になれば、単行本として、出版され、完結するまで、出版されていく。夏目漱石や、吉川英治等々の文豪達の本も、最初は、単行本として世に出、版を重ねて、文庫本になる。そういうサイクルがあり、また、週刊誌やフリーペーパーのようなところに連載されていたようなものも、単行本で出版され、文庫になっていく。単行本は、手に持つには、重くて読みにくい。しかも、高額でもある。文庫になってから、購入して読む人が圧倒的多数を占める。作家には、印税というものが手に入る。これは、絵画や彫刻、美術関係の作品と異なり、その著作権者が生きている間に得られる収入だ。美術作品のように、作者が死亡すると価値が高くなるというものではない。そして、著作権が切れると「あおぞら文庫」のようなところへも収録される。
先日、私は、携帯端末のようなもので、これからは、本の流通が進んでいくだろうとのべている。森林資源の伐採も少くなり、著作権者(作家)の印税収入も多くなり、読者もより安く作品が読めるというような趣旨をのべていたが、全く反対の意見を発見した。それが、このサイトだ。私も、この件について、思案していたが、私だけが思案していても始まらない。ここに提示しておこう。
いろんな考え方があるので、世の中は、面白い。
私は、現役時代に、ある協同組合の長をしていたことがある。FAXというマシンが出始めた時、ある会員さんから提案があり、これは、便利なものだと思い、全会員に配布したこともある。パソコン通信が便利だと理解した時は、「すがやみつる」さんを講師として、お願いし、大阪まで出向いてもらったこともある。また、WBNワードバンクノート=通信ワープロ)が、流行した時は、会員に強制的に購入してもらったこともある。ラップトップコンピューターは、予算の関係で、全員に無料配布はできなかったが、今なら可能だろう。なにしろ、プロバイダ契約さえしてくれれば、、1台が百円という時代だ。
それと、携帯電話の普及という関係もある。これは、子供達の間では、最早、必須のアイテムともなっている。
社会的なインフラの整備が、政府の税金投入なく、全国的に進んでいる。このメディアは、通販各社の狙い目となっていることは、誰でも知っている。携帯でビジネス活動しなければ時代に遅れてしまうと、思っている。幸い、携帯の端末も、ネットに接続して、最早、境目があいまいともなりつつある。
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