【TRAVEL/MAIN No.31】著者 I.P 1993/02/05 18:48:38 19001 byte 《このメッセージに対するコメントが 2件あります》 『題名』タウンネットからの転載>I.P この愉快な旅人ボードが寂しいので古いログをこちらへ運んでおこう。赤穂の皆さん にも、どういうボードか理解してもらえるだろう。 それに、私が書き込むMSGの中に時々、「オコゼ男」というのが出てくるが、それ の背景ともなるエピソードもある。何かと便利だ。 タウンネットからのメンバーは、ここでコントロール+Cをされたらいいだろう。 短文を続けているから結構長い。。。。 インスピ 【TRAVEL/MAIN No.374】著者 I.P 1992/04/23 14:59:34 1145 byte 《このメッセージに対するコメントが 1件あります》 『題名』隠岐玉造その1>I.P これは、4月18日(土)から20日(月)までの小旅行の記録である。 この数日間というものは、やたらアチコチ動いてばかりいたような気がする。なかなか 落ち着いてパソコンの前にも座れなかったようだ。これだけ離れると、復帰するのが億 劫にもなろうというものだ。 で、やっと今、大阪から帰ってきて少しの時間がとれた。とにかく切っ掛けとなるプロ ローグだけでも書き込んでおこうとエディターを起動した。 所属するクラブの理事会の任期も今年の6月末で終了する。7月から翌年の6月までの 1年間だけの役職だけれど、5月に入れば新旧の引き継ぎの為の会合が頻繁に行われる のは例年のことだ。従って、今期の理事会の打ち上げ旅行をこの時期に計画したもので ある。もちろん、毎月積立をして準備していた。 目的地を決めるにもなかなか難しいものであったが、ゴルフをされる方が大半であった のでゴルフは絶対に外すことは出来ない。しかし、私としては釣りがしたい。両方共可 能なコースは作れないかと知恵を絞ったのが、この隠岐と玉造温泉の旅だった。 プロローグだけで、おしまいとなるかも知れないMSGだが、とりあえずアップしてお こう。 インスピ 【TRAVEL/MAIN No.375】著者 I.P 1992/04/24 10:52:26 1623 byte 《コメント先 No.374 このメッセージに対するコメントが 1件あります》 『題名』隠岐玉造その2>I.P まず、初日に隠岐の島へ直行し、島内を観光する。翌日には釣舟をチャターして全員海 に出てもらう。釣の用意もするが、海から見る隠岐の島も味わってもらいたいとか説明 して納得してもらっている。 まず、この隠岐の島なんて滅多に行くことはない。12名もの参加者があったのも隠岐 の魅力に起因しているのだろう。 話では、この隠岐の釣りでレンコ鯛をトロ箱に何杯も釣って氷詰めにして宅配便でそれ ぞれの留守宅へ送るということであった。また、不参加の方々にも期待されている。 おまけに、その日の昼食は、釣りあげた獲物を料理してもらってビール、酒を呑もうと いう計画も立っている。 JAS605便が我々一行12名の搭乗予定の飛行機だった。YS11型のプロペラ機 だった。搭乗手続を済ませ、23番搭乗口の前で待っていると、アナウンスがあった。 「605便で米子、隠岐へ行かれるお客様に案内します。隠岐方面は気流の状態が不安 定なので、米子に到着してから、隠岐へ飛ぶかどうか現地で天候の状態次第となってお ります」というような誠に不吉なものである。 それでも米子までは飛ぶらしい。皆と相談して、米子で予定変更も覚悟しなければなら ないだろう。搭乗が始まった。バスで駐機しているYS11型プロペラ機のタラップ下 まで行く。機内は狭い。 プロペラ機だから滑走は短い。グンと首を持ち上げたかと思うと、もう急角度で空に舞 い上がっている。揺れが激しい。翼が小刻みに振動している。いきなりガクンと降下し たりする。日頃、こういう小型の飛行機に乗ることはない。皆、顔が青ざめている。 米子に到着した。普通なら、隠岐への客はそのまま機内に残り、米子までの客だけ降ろ すのだが、全員荷物持参で降ろされた。次のアナウンス待ちである。 インスピ 【TRAVEL/MAIN No.376】著者 I.P 1992/04/24 12:45:49 967 byte 《コメント先 No.375 このメッセージに対するコメントが 1件あります》 『題名』隠岐玉造その3>I.P 米子空港の喫茶店で待機することになった。隠岐上空の気流の状態を調べているのだろ う。もし、飛ばないとなったら、約束のレンコ鯛はどうなる?これからの予定は? 様々な事態に対応しなければならない。別に世話人というわけではないが私も隠岐を推 薦した一味ということになっている。困ったことになったものだ。 やがてアナウンスがあり、搭乗ということになったが、やはり条件つきであった。隠岐 の上空で引き返すことがあるかも知れませんと言っている。ままよと乗り越んだ。 約20分ほどのフライトで隠岐上空に着いた。今度は、あまり揺れない。見事着陸して くれた。ホっとする。フェリーだと2時間半もかかるそうだ。 早速、空港で迎えのマイクロを探す。台湾や韓国式にポスターを手に待っていてくれた のは運転手さん。マルマル御一行様とある。よく空港で見掛ける光景だ。 時間は午後3時15分。これから島内観光である。小さな島だから観光といっても回る 場所は限られている。 インスピ 【TRAVEL/MAIN No.377】著者 I.P 1992/04/25 13:03:06 1779 byte 《コメント先 No.376 このメッセージに対するコメントが 1件あります》 『題名』隠岐玉造その4>I.P マイクロバスに9名、タクシーに3名という具合に分乗して出発した。崖の上のような 空港から橋を渡って島廻りの開始だ。全長でも27キロほどの道路で、約2万人が居住 する隠岐の島には、信号機が4つしかないという話だ。おまけに、パチンコ屋も4店し かない。ほとんど中心部にかたまっている。 御醍醐天皇流刑の地として、歴史的に有名な島だけど実際に観光で訪問する機会は滅多 にない。 駅鈴という珍しい鈴がガラスケースに展示されていて、テープでその音を聴いた。昔は 馬が交通手段だったので、この鈴を鳴らして使者の到着を知らせたそうだ。また、駅と いう言葉は、馬と沢(古い漢字)がルーツだそうだ。 隠岐国分寺に、御醍醐天皇行在所跡を訪ねる。元弘の乱(1331)により北条高時の 兵に宇治平等院で捕えられ26日間の日数を要して隠岐国分寺に到着。凡そ一ケ年をこ の隠岐で過されて脱出、建武の中興の偉業を尽された。 隠岐郷土館を訪問。美しい建物である。郡役所庁舎として明治18年に建造されたもの だそうだ。孝古・鉱物、郷土芸能等の展示物が1階にあり、2階には、調理用具、衣服 家具調度、生活用具、農耕、漁撈、畜産、山樵等の展示がなされている。 その郷土館に「からむし2世号」が展示されていた。昭和56年7月、全長8.2メー トルの丸太舟に5人が乗船し2日と9時間をかけて隠岐から本土へ到着した。古代人の 海上ルートを再現する試みであった。(こぎ手4名、かじとり1名) オオミズナギドリ繁殖地、白島を見おろす展望台までで、この日の観光は終了した。 宿舎である隠岐プラザホテルに戻る。明日は、いよいよレンコ鯛だ。フロントで再確認 してみた。漁師の話では、明日は海が荒れそうだから外海へは出れないかも知れぬとい う話だった。折角、ここまで来て釣りがダメなら何の為に来たのか.... 朝6時というのを8時半に遅らせて外海は諦め、湾内で釣りをすると変更した。これで レンコ鯛は遠のいてしまった.... インスピ 【TRAVEL/MAIN No.378】著者 I.P 1992/04/25 14:26:23 2185 byte 《コメント先 No.377 このメッセージに対するコメントが 1件あります》 『題名』隠岐玉造その5>I.P 翌朝6時の出発が8時半となった関係で、気分的にはゆったりしている。風呂に入って おきまりの宴会となった。スルメイカのサシミが気に入り皆が追加した。その他の料理 は別に本土と変りない。ここの漁師は、その日の収穫を本土の「さかいみなと」へ持っ て行ってしまうそうだ。 マージャンに囲碁ぐらいの娯楽しかない。当然石を握る。1勝1敗1ジゴというところ で軽く遊んだ程度だった。マージャンは別室でやっているのだろう。囲碁は静かなもの だ。 朝。予想に反して晴れている。沖に白波は立っていない。これなら当初予定の6時に出 てレンコ鯛だった。しきりに悔しがる。朝食の席で舟のグループわけ。3隻に4名づつ 乗る。まずリーダーを決めた。しつこく釣りたい班、まぁまぁの班、どうでも良い班と 分ける。私は勿論、しつこく釣りたい班に応募した。 ホテルの直前が船着き場だ。約束の時間通りに3隻来た。釣ぶねとしては案外と大きい ので安心した。外海に出たいと交渉する。漁師もこれなら大丈夫と湾を出てくれた。 およそ30分で釣場に着く。船尾に三角の「ほ」をかけ、ビシ付の手づり用具を各人に 配る。エサはオキアミだつた。水深がある。なかなか底がとれない。手探りで底をとっ ていたら、いきなり来た。名誉の第1匹目は私だった。ピンク色をしたレンコ鯛。25 センチ前後。体型が良い。これで一安心する。4名一緒だと最初に釣った者が精神的に 楽になるのは過去の経験で嫌というほど理解している。 こちらの舟が2匹釣った段階で他の舟との無線で情報交換が始まった。遠く離れていた 舟がこちらに向う。まだ釣れてないのだろう。私は、以後ピンク色した沖ハゼばかりで あった。しかし、私の乗った舟の4名は全員レンコ鯛を釣って「ぼうず」なし。 結局、私たちの舟が一番最後に陸に上がった。ホテルでは、もう風呂に入って寝ころん だり碁を打ったりして我々を待っていた。急いで風呂へ入る。 昼食場所は街中の「マスヤ」という食堂だ。歩いて5分ほどのところ。 昨日から、私の靴底の具合が悪い。釣りから上ると、とうとう底がはがれてしまった。 無理もない。もう、かれこれ5年以上にもなる。インジェクションの靴だ。これは底に ミシンをかけないでゴムを直接圧着させているだけだ。年数が経過すれば、はがれる。 背に腹はかえられない。ショッピングセンターの靴屋にとびこんだ。<^_^> まさか隠岐 で靴を買うなんて夢にも思っていなかったことだ。 インスピ 【TRAVEL/MAIN No.379】著者 I.P 1992/04/25 15:30:02 1477 byte 《コメント先 No.378 このメッセージに対するコメントが 1件あります》 『題名』隠岐玉造その6>I.P マスヤという食堂は隠岐唯一の繁華街にあった。1階が喫茶店で2階が食堂になって いる。ここの昼食代は、JTBクーポン券に含まれていた。釣ってきた魚をサシミに してもらう。身がコリコリしていて甘味がある。湯あがりのビールがほどよく冷えて いて至福の一瞬だ。これだから釣はやめられない。 前の席の男の右手が、ぼんぼんに腫れている。聞けば沖オコゼを掴んだという。赤色 の美しい魚だが、トゲに毒がある。刺されると腕までしびれる。瀬戸内海で私も姫オ コゼにやられたことがあるので、その痛さは知っている。明日はゴルフだというのに 気の毒なことだ。そのオコゼ男というのは、私を最初に伽羅に案内してくれた男であ った。皆の酒のさかなになっていた。 飛行機の時間がゆっくりしているので1階の喫茶に入る。島に4軒しかないというパ チンコ屋が隣でトイレが共有になっている。早速、千円負けてきた者もいた。トイレ に入って隣へ出てしまったようだ。全面鏡張りのトイレで方向感覚が一瞬戸惑う。 カウンターで隣の女の方のパンを食べてしまって飲物代金をこちらで支払ってくれと 要求する先輩もいて賑やかなものだ。私が会計をあずかっているので、しっかりと領 収書を貰う。 旅行会社のクーポン券だけで旅行が出来るなら会計も楽なものだが、その都度支払が 発生するので、うっかりメモを忘れると全面的に会計の損になる。こんな役目はもう 二度としたくない。 飛行機は時間通り隠岐を離陸した。釣が出来たぐらいだから、天候の心配はしていな かった。こういう場所への観光は欠航という事態も考えておく必要がある。 インスピ 【TRAVEL/MAIN No.380】著者 I.P 1992/04/25 16:46:39 1349 byte 《コメント先 No.379 このメッセージに対するコメントが 1件あります恍 『題名』隠岐玉造その7>I.P 揺れもなく606便は米子空港に着陸した。玉造温泉でも豪華な「長楽園」というホテ ルを予約している。昨夜と異なり今夜は芸者さんを呼んでいる。宴会も賑やかなものに なるだろう。 宍道湖はシジミが有名だ。当然、シジミのミソ汁も期待できる。空港からホテルまでは 宍道湖に沿ってタクシーで約4千円の距離があった。 宴会までの時間は、大浴場へ行くなり昼寝するなり自由だ。しつこく釣り組は部屋で昼 寝を決めこんだ。昨夜の隠岐プラザホテルでは部屋が4つだったけど、ここでは3つな ので釣ぶねのグループで部屋割した。これも予算の関係だろう。 風呂から上がったオコゼに刺された男が私達の部屋に風呂は混浴だったと報告に来た。 若い女性はルール違反で水着姿だと言う。それを聞いて、昼寝組もガバっと飛び起きタ オル片手に風呂に向った。 120坪もある世界一の露天風呂であった。龍の口から滝のように熱湯が流れ落ちてい る。男性、女性の入り口は違うが中は一緒。 こういうのを運が良いというのだろうか?私がその大きなプールみたいな風呂の真中に いる時だった。見るとはなく、あくまで見るとはなく左前方に目が向いた時だった。 歳の頃、30前後の若奥さま風のグループ3人が混浴とは知らずに堂々と前も隠さずに 入って来られた。目と目が合って約5秒。呆然とこちらをみつめられた。この場合の5 秒というのは長い。やがて気がつかれて「ウッソー」とか叫ばれてクルリと方向転換さ れた。 インスピ 【TRAVEL/MAIN No.381】著者 I.P 1992/04/25 17:48:57 1537 byte 《コメント先 No.380 このメッセージに対するコメントが 2件あります》 『題名』隠岐玉造その8>I.P 露天風呂から上がると丁度宴会開始時間になっていた。「こんばんわー」と4名の芸者 さんが入って来た。1名だけ素晴らしい芸者さんがいた。人生経験豊富な先輩が早速目 をつけた。「久し振りに芸者らしい芸者を見た」と大喜びである。 宴席の芸者さんの花代というのは時間で区切られている。この場の会計は誰か情報獲得 も芸の内なのか、例によって延長のお願いにやってきた。回りを見渡すと皆、調子良く 呑んでいる。先輩の目がO.Kを出せと言っている。仕方なく延長を認めた。 お座敷芸というのは、あまり品の良いものではない。従って、このレポートでは割愛す る。カラオケは、皆さん流石にトトマチ仕込で上手だった。 二次会に誘われた。そのナンバー1の芸者がママをしていると言う。この場合1人いく らと決めておくのが会計の仕事。当然、別会計ということになる。ツケも可能だけれど キャッシュで支払っておくほうが確かなのは私も経験で知っている。部屋からサイフを 持ち出した。 徒歩で3分ていどの距離にそのクラブはあった。案内は当然その芸者。この界隈ではダ ントツの店であった。ママは、洋服に着がえて席についた。また、違った魅力がある。 話のついでに、この土地で私の友人の名前を話題にしてみた。やはりママは知っていて この店の常連だとも言う。あの野郎。(一昨日、大阪でその男に確認したところ、岸さ んというのは古株で20歳ぐらいの時から土地に住みついて、今は38歳ぐらいだと言 っていた。レコードデビューしたこともあるらしい) 会計を済ませて、私は部屋に戻る。やはりキャッシュ払いが正解だったことは翌日判明 することになる。 夜中にもう一度風呂へ行こう。 インスピ 【TRAVEL/MAIN No.382】著者 KOKUSHU 1992/04/25 18:03:20 1004 byte 《コメント先 No.381》 『題名』笑った笑った/刻舟 I.Pさんの靴が、壊れて、隠岐で靴屋さんに飛び込んだとは。 しばらく、腹が痛くなるくらい笑っちゃいました。 それにしても、I.Pさんも凄い漢字を使う人だ。 ・・ 御醍醐天皇行在所跡を訪ねる。元弘の乱(1331)により北条高時の ・・ ・・ 家具調度、生活用具、農耕、漁撈、畜産、山樵等の展示がなされている。 行在(あんざい) 私の辞書に「あんざい」いれても出てこなかつたので、早速 登録させて貰った。 ついでに「行宮」も入れておいた。 漁撈(ぎょろう) これは、今は漁労と書くのが普通。同じ発音の、似た漢字に よる置き換えの例だが、撈という字は「すくいとる」という 意味で「労」とは似ていない。だから、私も漁撈を使いたい が、しかし、書いたのを見るのは久しぶりだ。 山樵(???) これは、なんと読むのだろう。単純に「やまきこり」でいい のだろうか。 【TRAVEL/MAIN No.383】著者 I.P 1992/04/25 19:08:09 1713 byte 《コメント先 No.381 このメッセージに対するコメントが 1件あります》 『題名』隠岐玉造その9>I.P 部屋では牌を囲んで熱戦が行われていた。たまらんと風呂へ行く。今度は空いていた ほんの数名だけが入浴中であった。湯につかり温もるだけのつもりで入っていたら又 18歳前後の女の団体が、キャーキャー騒ぎながら入って来た。これは弱ったと早々 に出る。その話をマージャン組にしたら羨ましがられた。 明日のゴルフ組は9名で観光組は3名だけである。朝食の時間も違えてある。私達の 観光組は部屋に食事を運んでもらうことになっている。ゆっくりしたものだ。 マージャンをしている人の後ろに寝ころんで観戦させてもらう。昔に少し覚えたので まだ手は理解出来る。随分やっていない。点数の数え方はいまだに知らない。 向いの部屋では碁を打っている。明日観光組に残るのが私の好敵手なので早朝に対局 してもいい。 うとうとしかけていると、呑みに出た仲間が戻ってきた。あれからもう一軒行ってき たと赤い顔で言う。部屋の勘定にツケたから明日、別勘定で払っておいてほしいと依 頼された。ゴルフに行くから朝が早い。了解そのかわり、さっきの割勘分の集金を頼 んだ。きっちりした人だ。それなのに部屋にツケを回している....浴衣がけなので仕 方なかったのだろう。 朝は、別にゴルフに行かないのに早く目が醒めた。碁の好敵手も早かった。当然1局 が2局になる。皆がゴルフに出発する時も碁を打っていた。1―1 もう1名が起床したところで、朝風呂に行く。ロビーでは出発する方ばかりだ。その 横を悠然と浴衣がけで露天風呂に行く。風呂は我々3人だけだった。掃除している係 員もいる中、ゆっくりと湯を堪能した。 朝食を済ませ、勘定してもらう。やはり、部屋にツケを回した方の勘定は途方もない 高いものについている。別に私が行ったわけでないから内容は知らない。後で聞いた ら、やはり最初の店であれなら、とんでもないほどのぼったくりだと怒っておられた が後のまつりだ。 インスピ 【TRAVEL/MAIN No.384】著者 I.P 1992/04/25 23:10:55 2306 byte 《コメント先 No.383 このメッセージに対するコメントが 1件あります》 『題名』隠岐玉造その10>I.P 観光組の3名には、ゴルフのプレーフィー等の経費を勘案して別途予算が割当られて いる。これまで私が扱うのは堪えてもらいたいと言ったら、私と同年輩の方が引き受 けてくれた。助かった。 タクシーを呼んでもらい、まず松江駅のコインロッカーに我々の3個の荷物を預けて 松江城へ行く。我々3名だけの気ままな観光だから気分的にゆったりとしている。 まずモーニングコーヒーを飲もうと松江城の前にある民芸調の喫茶店に入った。ドア がスライド式になっていて、シャンソンが流れる一風変わった店だった。サイフォン で入れたコーヒーが美味。 会計を引き受けた男は紙片にせっせと使用した金額を書き込んでいる。なかなか大変 な作業だということが今に解ると私は内心ニヤリとしていた。 松江城(別名・千鳥城)は黒と白のこじんまりとした城だった。全国に現存する天守 の一つで山陰では唯一の天守閣である。天守閣の大きさ(平面規模)では2番目、高 さ(約30M)では3番目、古さでbU番目とパンフレットに書いてある。 天守閣は四方の見晴らしが良かった。風の通り抜けが心地よい。しばらく見とれてい た。無粋な建物が近くにある。やはり警察の建物だった。 薄茶を飲もうと茶店に寄る。木立に囲まれた庭園を借景としている。簡素な座敷に上 がる。客は、私達の他に2名だけ。鳩や小鳥が庭先で遊ぶ。お茶うけの菓子が出て、 抹茶茶碗談義になる。この手の話になると私にはさっぱり理解出来ない。 城の回りを歩いて、小泉八雲記念館へと向かう。山桜、八重桜等の樹木の間を散策す る。やはり落ち着く。こういう静かな小道は好きだ。 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は1850年ギリシャのレフカダ島にアイルラン ド人の父とギリシャ人の母との間に生まれる。16歳のときに左目失明。19歳でア メリカへ渡り、24歳のときに新聞記者となる。明治23年(1890)40歳のと き取材のため日本来て間もなく、東京帝国大学のチェンバレン教授や文部省の紹介で 島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師となる。54歳で他界するまでに数多くの 著作を残したり、日本文化を世界に紹介したりしている。 観光組は、時間が有り余っているので、念入りにゆっくりと展示物を見学した。 昼食は「八雲庵」というところで「そば」とビール。地酒の呑めない私は「ぜんざい」 で帳尻を合わす。 まだ時間が余っている。タクシーでサウナへ行ってマッサージを受けた。のんびりと した旅行も楽しいものだ。駅に戻り清算してみたら、まだ予算が残っていた。3人で 分配して帳やぶり。 ここらで終了しておこう。 インスピ(完)