
やはり、赤穂ネット「愉快な旅人」ボードに掲載したものです。
【TRAVEL/MAIN No.1012】著者 I.P 1996/11/10 14:06:27 1590 byte
《このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ヨーロッパ西端紀行01>I.P
便器の高さで、異国を知る。連中は背が高く足が長い。やっとこさ、「あさがお」に
一物が届くかという位置にある。日本では、私も、そう背の低いほうではない。
関空から12時間余り、機内に箱詰めになったあげく到着したパリでの話だ。
今回のパリはトランジットで寄るだけだ。EUへの入国は最初に到着した空港で、入
国カードを提出して終わる。それがパリだった。3時間ほどの待ち時間に空港内のス
ナックでコーラを飲んだ。免税店もあったが、品揃えはあまり良くない。
9月に、ドイツ・イタリアへ行ったばかりだというのに、また、ヨーロッパにやって
きた。今回も、IBM530持参だ。前回、ショートさせたACアダプターは、SL
UMP君が、この旅行に間に合わせてくれたのだった。修理代の請求書は、まだ届い
ていない。このまま永久に忘れてくれると有り難いのだが<^_^>
パリからポルトガルのリスボンまで、飛行時間は2時間余りかかった。日本時間では
もう、徹夜状態だ。こちらの時間で、いつも日本で寝る時間まで頑張って起きていれ
ば初日で時差ぼけは解消する。
シェラトンホテルの部屋は、ツインのシングルユース。先般の狭いミラノのホテルに
2名過ごしたのとは、雲泥の差だ。
ポーターが部屋にトランクを運んでくれたが、しばらくベッドで横になっていた。何
もする気が起こらない。テレビは日本の相撲のビデオも放映している。
飛行機から見るリスボンの夜景は、光の海だった。たぶん、明日の市内観光は期待で
きるだろう。
時差調整のために、ファイルを開いた。部屋の冷蔵庫にビールがあった。つまみは、
機内でもらったスナックミックスがある。寝酒としょう。
明日から、ぼちぼち書いていくつもりだ。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1013】著者 I.P 1996/11/10 14:07:48 3266 byte
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『題名』ヨーロッパ西端紀行02>I.P
ポルトガルの総面積は、日本の約四分の一で、人口は1100万だそうだ。機械文明
に遅れ、手工業が主な産業だそうだ。輸入品が生活必需品の大半を占めるから、生活
は、楽ではない。日本の30年前の生活状態と似ているという。
モーニングコールに起こされたのは、午前8時を回っていた。9時にバスが出発する
というので、洗顔、食事と急いで済ます。私が、団体のしんがりだった。
昨夜、チェックインして、今日1日だけの観光で、リスボンは終了だ。2泊あるが、
正味、1日だけのようだ。
ポルトガルは、金曜日が祝日だった関係で、3連休中の中日(なかび)だ。しかも給
料が入った月初めということで、人の出が多い。午前と午後の予定を入れ換えて、ロ
カ岬へ直行した。途中、カツカイシュという港町に寄る。16世紀に日本の少年視察
団4名が上陸した地だそうだ。
ロカ岬というのは、ユーラシア大陸最西端の場所で、「地が、ここで終わり、海が始
まる」という意味の有名な詩があるくらいだ。ガイドさんが、最西端の地を訪れた記
念に、証明書を貰えばというので、800エクシード(約、600円)の証明書を作
成してもらった。ナンバーが振られ、記録が役所に残されるそうだ。
シントラ宮殿は、万博に向けて改修中だった。世界文化遺産にも選ばれ、昔、日本か
らキリスト教の学習に派遣された4名の少年達の晩餐会にも平成天皇ご夫妻の接待に
も使用された広間も、見学できた。
昼食は、シントラ宮殿前のレストラン。前菜にエビの塩焼き(ニンニク、オリーブオ
イル風味)が、まるでメインディッシュかと思うほどの量が出た。本当のメインは、
あんこうの雑炊だ。エビなんかも入っているが、これも大量に出る。幸(ゆき)さん
というガイドさんが、あれでも、量を押さえてもらったのだと言う。デザートはプリ
ンと生クリーム。これも特大だった。コーヒーが苦い。甘いデザートとマッチしてい
る。
ガイドの「ゆき」さんが言うには、ポルトガル人は、日本人と似て、自分の意見を明
確に言わないそうだ。非常にシャイなところがあり、知らない人とは積極的に交流し
ょうとはしない。表情は豊かなほうではない。が、親切で、気が細いので悪行はしな
い。午後からの土産物店で、日本人が約1000ドルほど入ったサイフを落とされた
というのが大事件となり、現地ガイドさんも証明者になるのを嫌がるぐらいだった。
その件は連絡がつき同じホテルに滞在の日本人グループの中の1名が落とされたもの
と判明した。ガイドグループで情報交換した結果、一件落着したものだ。このように
純朴なところが残っているのは、本当に日本の30年前の社会と同じだ。
まるで海かと見違えるティージョ川は、水深が深いところで、80メートルもあるそ
うだ。クイーンエリザベス2世号も航行できるというので、ADAMさんも幾度か訪
れておられることと思う。
ジェロニモス修道院は、蜘蛛の巣のような天井で、礼拝堂はステンドグラスが見事だ
った。彫刻が随所に施されている。宗教画がはめ込まれ、内部は荘厳さが漂う。
リスボン大地震にも壊滅しなかったアルファマ地区(旧地区)にも案内してもらう。
昔、大邸宅だったところを仕切り、多数の家族が庶民的な生活をしている場だ。坂道
で道路は細い。洗濯物が軒先に干してある。水道の出が悪いので、洗濯機は使わず手
洗いだ。各階の窓には、ビニールテントを設け、上階の水滴から洗濯物を守る。いら
ぬトラブルを避けるためだそうだ。また、給水所があり一定の時間、水が出っ放しに
なっている。水汲みは女の仕事だ。ポルトガルの女の人は、よく働く。子供が坂道で
遊び、犬が放し飼いになっている。昔の日本の長屋のように、近所どおしは、仲が良
い。大声で世間話をしている。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1014】著者 I.P 1996/11/10 14:08:46 1635 byte
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『題名』ヨーロッパ西端紀行03>I.P
金細工の店に寄るというのを断って、ホテルに戻る。デジタルカメラのメモリーが
満杯になったので、パソコンに収録し、カメラのメモリーを空にする為だった。
部屋に帰り、カメラのACアダプターをセットしたが画像は出ない。またしても、
ACアダプターが故障かもともと、写真にはあまり興味がない。今度は、パ
ソコンが動いている。写真は諦めてもMSGだけは、なんとか記録できるだろう。
夕食は、午後8時にホテルを出発する。それまでの短時間に少しでもMSGを作成
しておこうと、NO2を書いた。続きは、食事が終わってからだ。明日は、移動日
なので、トランク詰めもしなければならない。のんびり過ごせばいいのだが、MS
Gを作成し始めると、嫌いなほうではないので、ついパソコンに向かってしまう。
ファドという、もの悲しい旋律の音楽を聞きながらの夕食だった。狭い店内に、お
よそ100名ほどの客を詰め込み、料理を運ぶ。野菜スープ、ましゅまろ、イカ料
理、肉のメインディッシュ、アイスクリーム、コーヒーという献立だった。イカは
日本の露天商が焼いているのに似て、なかなかのものだったが、肉は薄く、固い。
ショーが始まるまでに写真屋がテーブル毎にスナップを撮り、帰る頃、プリントア
ウトして売りに来た。1枚、600円程度。私達のテーブルの写真には、後ろの席
に座っおられた戸谷前姫路市長の顔も写っていた。ファドの歌手達も、歌い終われ
ば、それぞれが自分のカセットやCDを売りに来た。カセット、1000円でCD
は3000円。制服屋の若社長がCDを購入していた。
どうやら、時差ぼけが残っているようだ。ファドの音楽が、子守り歌のように聞こ
え半分、寝ていたようだ。
もっと、書きたいが、今夜は、この辺りでMSGを閉じて、荷造りだ
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1015】著者 I.P 1996/11/10 14:10:01 2376 byte
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『題名』ヨーロッパ西端紀行04>I.P
昨日は、しんがりだった朝食だが、今日は私が1番だった。移動日は、個人会計の
清算などで朝は、忙しい。
次々と朝食に皆が集まってきた。女性陣から、シソ茶の差し入れがあり、ボイルド
ウォーター、すなわち湯を注文していると、ある信用金庫の理事長さんが、小声で
添乗員の高橋さんに、「お願いがあるのですが」と言う。私の席に近かった
ので内容がわかってしまった。部屋のキー(カード式)を部屋内に置いたままドア
を閉めてしまい、締め出しをくらったらしい。旅行中、誰かが引き起こすだろうと
思っていたことだ。
今日の移動は、バスで長躯、国境を越えスペインのアンダルシア地方に向かう。現
地ガイドさんも交代した。
リスボンのホテルを出発したのは、午前8時半。すぐに、ティージョ川に架かる4
月25日橋を渡る。まるで瀬戸大橋のような長い橋だ。サンフランシスコのキンモ
ン橋と同じ設計者だそうだ。
途中、エボラの城塞都市に寄る。ローマの占領時代の遺跡がある。それぞれの世紀
に建造された遺跡が入り交じっている。聖堂の前には、鈴掛の樹があった。この聖
堂のオルガンが壊れていて、長らく音が出なかったのを直したのが、16世紀に少
年派遣団としてやってきた日本人だったという。昔から日本人は手先が器用だった
ようだ。
人骨寺というのに入る。壁や柱全体が、人骨で造られている。頭蓋骨をはじめ人間
の各部分の骨が積み重ねられ、気色が悪い部屋だ。早々に退散した。嫌な匂いが残
っているような感じがする。
昼食は、国境の街、エルバスだ。水道橋は15世紀建造。風圧を避けるためR状の
柱になっている。ガイドの敏子さんが、「ひだら」料理だというので何かと思った
ら干タラのことだった。
国境は、バスのまま通過した。パスポートの提示も必要ない。簡単なアンケートに
代表でガイドが記入するだけだ。
リスボンからハンドルを握っていたスペイン国籍の運転手さんが、「ようこそ、ス
ペインへ」と挨拶。
スペインの農園は、広大だ。トラクターで耕し、飛行機で種を蒔く。収穫も機械だ
。大理石の露天掘りをしている。大理石はタイルより値が安いという。建材として
も大いに活用されている。また、大理石は冷たいので調理の際、まないたとしても
重宝しているようだ。
黒ブタや牛、羊の放牧を見ながら、いつしか眠っていた。トイレ休憩に起こされ、
ジュースを飲む。ガイドさんが説明していた黒ブタのハムが壁に吊るされていた。
1本、7000円程度だそうだ。
夜、遅くホテル(メリア セビア)に到着した。早速、遅い夕食。メインディッシ
ュは白身の魚だった。塩辛い。
今日のホテルは1泊だけだ。こんな忙しい旅では、MSGも落ち着いて書けない。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1016】著者 I.P 1996/11/10 14:11:30 2725 byte
《コメント先 No.1015 このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ヨーロッパ西端紀行05>I.P
朝食場所を間違えて、エレベーターで6Fに戻ると、水道機材屋のご夫妻が、今日
のホテルはR階だと教えて下さった。再び、一緒にエレベーターで降りる。昨日の
ホテルが−1Fだったので、てっきり勘違いしていた。
ご夫婦の席に割り込み、3名で食事していた。バイキング料理だったので、ご主人
が席を立たれ、奥様と向かい合わせになった時、戸谷前市長さんが、入って来られ
た。「あれ、カップルが違うのではないか?」と言われたので焦ってしまった。こ
のご夫妻は、飾磨にお住まいの方で、奥様は、私と同年配だ。明石から嫁いで来て
おられる。
今回のツァーは、上品な方達が多い。私も含まれるのかな?どのような団体に入っ
ても私は、マイペースだ。
ここまでは、バスの出発時間までに、メモしておこう。
ホテルからすぐのところにある、万博跡に行く。白い鳩が群れている。人に馴れて
いる。両手に乗っかりエサを食べていた。不思議なことに白色の鳩ばかり群れ、異
色の鳩は、白い鳩が協力して追い出しているそうだ。縄張り意識だろう。
コロンブスの墓があるというカテドラルに入る。入口のところに、4名の勇士に担
がれた棺の大きな石像が、コロンブスの墓だそうだ。聖堂内には、金箔で覆われた
木彫りの祭壇がある。金の総重量は2tということだ。大航海時代に世界中から集
めたものだ。ダリや有名画家の絵も、ふんだんに飾ってある。
聖堂から、ヒラルダの塔に昇る。ゆるやかなスロープで四角に昇る。先頭は制服屋
の若社長。私が2番目で、ある信用金庫の理事長が3番目だった。セビリアの平坦
な街が眺望できた。昼食前の腹減らしに丁度良い運動となった。四角い中庭にはオ
レンジの樹が植えられ、一杯、実をつけていた。ママレードにしかできない酸っぱ
いものだそうだ。
エキゾチックなサンタクルス地区を歩く。建物と建物の間隔を狭めているのは、強
い陽射しを避けるためだ。ここ、スペインでは、1日に四季があるという。日中は
暑く、朝、夜は寒い。日向と日陰では、温度差が激しい。ギターを弾き歌いながら
我々の一行についてきたストリートパーフォーマンスの男がいた。街の雰囲気にマ
ッチした良い歌声だ。誰かが、チップを渡していた。
昼食は、その一角にあるレストラン。ニンニクとポテトのサラダ、じゃがいもの玉
子焼き、赤ピーマン、黒ブタのハム、プリンのデザート。
食後、店を出ると、靴磨きのおじさんが、「靴ピカピカ」と日本語で言いながら、
客の足を引っ張る。戸谷前姫路市長さんが、磨いてもらっていた。のら猫がどこに
でもいる。丸々と太っていて、毛並みも良い。エサは地域の人々が与えているのだ
ろう。中には、ベンチでのうのうと眠り込んでいるのもいる。
バスは一路、グラナダへと向かった。車窓からは、どこまでも続くオリーブ畑が見
える。「桃栗3年柿8年」とは日本で言うが、オリーブは15年して収穫できるそ
うだ。でも、そのくらいでは、まだダメで50年100年経た樹からの実でなけれ
ば良いオイルにはならないそうだ。広大なオリーブ農園は、たった5名の地主が支
配する。石灰質の土壌では、他の作物は栽培不可能だ。農地解放しても、小作人が
困ってしまうのだそうだ。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1017】著者 I.P 1996/11/10 14:13:07 2428 byte
《コメント先 No.1016 このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ヨーロッパ西端紀行06>I.P
グラナダのホテルは、小高い山の上にある。起伏があまりないアンダルシア地方の
東に位置する。歴史ある「アルハンブラ パレス」という名のホテルだ。格式が高
くても古いホテルでは、設備にガタがきているものだ。特に水道設備に難がある。
このホテルも1泊だけだ。午後8時に夕食会場へバスが出発するというので、NO05
のMSGは、その待ち時間にタイプした。こんな忙しい旅は、初めてだ。
グラナダ市街地の夜景は、私の部屋からは望めない。窓を開けても駐車場が見える
だけだ。反対側の部屋が当たってしまった。もっとも、私は、パソコンの電源さえ
確保できれば、どのような部屋でも一向かまわない。
バスで市街地へ下る。「Asador de Burgos」というレストランに
入る。日本人の団体が2組。骨付き肉がメインディシュだ。相対的に塩辛い料理が
多いのでビールのおかわりをした。食事時間が長いのは覚悟しなければならない。
日本では、イライラしてしまうが、郷にいれば郷に従えだ。お土産に灰皿が配られ
る。素朴な焼き物だ。
レストランを出ると、マイクロバスが2台、用意されていた。道幅が狭いので手配
されたのだ。これから、本日のメインイベントのジプシーのフラメンコショーを観
賞するのだ。山腹の洞窟内に舞台と客席がしつらえてある。うなぎの寝床のような
狭い会場だ。ジプシーの親族が全てを仕切っている。ボーカルを担当するのが1番
偉い人だそうだ。タップを踏みながら情熱的に踊るのは、その妻や娘、息子、姪、
甥などの家族だろう。歌声は、時に激しく、時に物悲しい旋律になる。
このジプシーのフラメンコは、大劇場にかかる有名なものではなく、フラメンコの
原点ともいえるものだそうだ。ここでも、先ほどのレストランの日本人団体と同席
になった。盛んに凄い凄いと感激している。
疲れていたのか、フラメンコを聞きながら、居眠りしてしまった。会場を出て、ア
ルハンブラ宮殿の夜景を眺める。明日は、たっぷり2時間の散策をするという。
ガイドの敏子さんの家庭は、そのフラメンコ会場の近所にあるので、自宅へ帰る。
明日、ホテルへ迎えに来るそうだ。どこへ行っても、日本人女性はたくましい。そ
の土地に溶け込んで生活している。敏子さんは独身だが、異国の男性と家庭を持ち
、子供を育て上げている方も多数いる。この敏子さんは、他に「もの書き」という
職業を持っているそうだ。
私達の団体は、姫路の方ばかりだ。どこの誰かは、すぐにわかってしまう。私も、
女性陣のするどい指摘に正体(?)がばれてしまった。パソコン通信では、インス
ピで充分、通用しているのだが、実社会では、それでは納まらないようだ。
明日は、また、ホテルを移動する。そろそろ、パッケージして寝よう。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1018】著者 I.P 1996/11/10 14:15:07 2657 byte
《コメント先 No.1017 このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ヨーロッパ西端紀行07>I.P
夜中に喉が渇いて目が覚めた。室内の冷蔵庫から飲み物を取り出そうとして愕然と
した。鍵がかかっている何の為のミニバーかわからない。しかたない。水あ
たり覚悟で水道の水を飲もう。
アルハンブラ宮殿は、ホテルから徒歩で行けるところにある。チェックアウトを済
ませバスに手荷物を積み込み、ぶらぶらと歩いて行った。門を入ると、円形の2層
になった建物がある。音響効果が素晴らしい。これは、地震のため、未完成になっ
たものだ。本当は3層の建物にする予定だったそうだ。円形の中庭は青天井で、ぐ
るりと回りを建物が囲む。中庭で手を叩くと、音が余韻を残して響く。流石に世界
文化遺産に選定されただけのものがある。建物の至るところに細工が施されている。
寄せ木細工、彫刻、水鏡、噴水、大理石の粉末とガラスをこねたものの型押しやタ
イルが壁面全体を覆う。材料は、安いものが使用されているが、加工に凄く手間が
かけてある。日本からの樹木も多く移植されていた。柿は実をつけ、桜並木、さる
すべりの樹、ぼたん等。約、200年もかけて造られたそうだ。また、このアルハ
ンブラ宮殿は水の宮殿とも称され、約、30キロ遠方の山脈から雪溶け水を引き込
み、断崖絶壁の山をくり抜いた貯水池に貯め、水圧と毛細現象で宮殿の至る所に美
しい水の芸術を演出している。砂漠の民の水に対する、圧倒的な知識は、現代人の
及ぶところではない。
タイルの色は、空のブルー、オアシスのグリーン、金の黄、血の赤と4色に限定さ
れている。
夏の離宮への道は、両側に糸杉がアーチ型に刈り込まれ、中央に水路が通っている
。昨夜のフラメンコの洞窟は、谷一つ向かいの山腹にある。寄せ木細工の土産物屋
で時間をつぶし、昼食は、アルハンブラ宮殿に隣接するレストランだった。メイン
ディッシュは、舌ひらめ。味が薄くて助かった。ここ、数日、塩辛いものばかりだ
った。
食後、バスで白壁の建物群で有名な「ミハス」へ行く。地中海に望む美しい街だ。
展望台まで歩く。天気の良い日なら、アフリカ大陸の先端まで見えるという。大西
洋側のリスボンから斜めに横断し、地中海までバスでやってきた。アーモンドを焼
く屋台の親父が、試食してみろと一粒くれた。口中に甘いアーモンドの香りが広が
った。気にいって1袋求める。
一路、マラガ空港へ。今夜は、バルセロナで宿泊だ。ホテル「アベニダ パレス」
は文豪「ヘミングウェイ」の定宿だったところだそうだ。晩年、フロリダのキーウ
ェストに移り住んだ。
ホテルにチェックインし、早速、夕食。メインディッシュは、白身魚。まぁまぁだ
。団体なので、食事の都度、相席する相手が異なる。制服屋の若社長、ある信用金
庫の若理事長、年配の方、私がテーブルを囲んだ。年配の方と話していて、共通の
知人が多いのに驚いた。ある団体の役員を私も昨年度やっていたが、その年配の方
も私の前年度、ポストは異なるが役職に就いておられた。この旅行から帰国された
足で城崎へ行かれるのだそうだ。
今日で、第5日目が終わる。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1019】著者 I.P 1996/11/10 14:16:59 2940 byte
《コメント先 No.1018 このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ヨーロッパ西端紀行08>I.P
バルセロナの夜が明けた。昨日の日中は雨だったが、今日は晴天に恵まれた。もっ
とも、我々は、夕刻に到着したので、雨の影響はなかった。午前中、市内観光に出
る。まず、バルセロナ市役所を表敬訪問する。戸谷前姫路市長を通じ、特別に議場
内を見学させてもらった。市会議員の数は、40名ちょっとで、議員の数だけ、議
席があり、半円型に段差を設け、議長席を囲むように配置されている。その上の階
は、報道記者などの席だ。どうやら市長が議長を務めているようだ。我々の団体が
議席に座り、説明員の通訳をガイドの敏子さんがしてくれた。画材屋の社長や、料
亭の社長などが次々と市長席に登壇し写真撮影をされていた。右は保守派の席、左
は革新派の席だそうだ。訪問記念にバッヂを貰う。
この市役所は、芸術的にも優れていて、天井の絵画や、彫刻が随所にある。市長の
助役は、4名いて、その3名が女性。また、市会議員の4分の1も女性だそうだ。
ウーマンパワーが、ここバルセロナでは開花しているようだ。そういえば、ここの
説明員も女性だった。
スペインが誇る天才設計者、ガウディが、スポンサーの命を受け、郊外に住宅街を
造ろうとして失敗し、今はグエル公園となっているところを見学した。当時の交通
事情で挫折したものだが、いまでは、ご他聞に洩れず、住宅地のドーナツ現象が進
んでいる。計画が、早すぎて失敗したのだ。バスが停まり、公園を歩いたが何の変
哲もないので、なんだとおもっていたら、その公園は、多数の石柱で支えられた人
工地盤であった。おどろおどろとした洞窟に似せた長屋は、今回、参加の、ご夫婦
の運営されている老人ホームに付属する人工の施設、万里の長城にも似ていると誰
かが言う。
ガウディが設計して、建築にかかったが、まだ未完成の聖家族教会を見学する。も
う100年も工事をしていて、完成には、あと200年もかかりそうだという。と
てつもない長期の工事だ。人間の寿命を超えて工作するという思想は日本にはない
と思う。近代建築様式の鉄筋を導入することに市民は反発しているそうだ。石だけ
なら数千年ももつが、鉄筋の耐用年数は、はるかに短い。エレベータで尖塔に昇る
。200ペセタ。およそ、90メーターの高さだ。一番高い部分で地上107メー
タという。エレベーターを降り、狭い階段を螺旋状に昇ると展望台に出た。10名
も入れない狭さだが眺望は素晴らしい。バルセロナの市街地が見渡せる。
モンジュイックの丘を回り、昼食はシーフードレストランだった。エビの塩焼き、
ハム、タコなどの前菜は美味かったが、メインディッシュのスパゲティ風のグラタ
ンは、パサパサの焼きソバのようで評判が悪かった。前に座られた奥様は、29号
線の林田でドライブインを経営している方だった。私も、そこの山菜ソバが好きで
、よく行く。姫路を中心としたグループだが、まだ、全員を把握していない。たぶ
ん、旅の終わりでも、大半の方は、覚えきれないと思う。山本先生の作陶の関係者
も多数、参加されているようだ。
例によって、長時間の食事タイムが終わり、ホテルに戻る。自由時間だ。ピカソ美
術館は、パスして、スペインのブランド店「ロイベ」へ行く。友人の奥様からバッ
クを頼まれていた。ところが、気に入るデザインがない。仕方ない、マドリッドで
探してみよう。それでも見つけられない場合は諦めてもらおう。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1020】著者 I.P 1996/11/10 14:18:19 2301 byte
《コメント先 No.1019 このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ヨーロッパ西端紀行09>I.P
ロイベの店の近所に、ガウディが設計した、面白いアパートがある。バルコニーが
人の目玉のようにデザインされている。外から見ると奇怪な建物だ。奇才は時とし
て凡人の思い付かない発想をする。ピカソの芸術もそうだ。ピカソ美術館をパスし
たと知れば、私の釣りの師匠で、ピカソを崇拝している「クロちゃん」なんかは、
もったいないことをするというかもしれない。
朝、ランドリーに出していた、シャツが部屋に戻っていた。1泊だけのホテルでは
クリーニングも安心して注文できない。10日間の長丁場ともなれば、着替えも底
をつく。今夜も夕食から戻れば、荷造りしなければならない。やはり、同一ホテル
で3泊が理想か
昨夜、部屋の冷蔵庫から水を取り出して栓を抜くと、ガス入りのものだった。この
旅行中、水は、全てノンガスだったので油断していたのだ。そういえば、昼食の席
で、ある信用金庫の理事長さんもガス入り水の栓を抜いたと言っておられた。
今夜は、午後8時15分にロビー集合で夕食に行く。こちらの食事時間は、昼は午
後1時半を回るし、夜は、このように遅い時間だ。
港まで下り、予約のレストランに入る。ピカピカという前菜から、恐怖の時間が始
まった。ピカピカというのは、スペイン語で、つまむものという意味だそうだ。日
本の「つきだし」だと思えばいい。ナスビや赤ピーマンなどの野菜は味が薄い。あ
さりの酒蒸しのようなもの、コロッケ、烏賊リングをオリーブオイルで揚げたもの
は、好評だった。メインデッシュは、オマールエビや小エビ、巻き貝などの盛り合
わせ。特に美味だったのは、小粒の巻き貝。えんえん、2時間もかかる夕食という
ものは、我々、日本人には耐える限界だろう。最後のお茶なんかどうでもいいと思
ってしまった。いくら、郷に入っているといっても、やはりイライラする。
材木屋の社長から、ウィスキーのミニボトルを頂戴した。氷を貰い、水割りを隣席
の、ある信用金庫理事長さんと分けた。1杯だけでも、有り難かった。
食事の席で、色んな話を拝聴するのは面白い。材木屋の社長さんと私の共通の知人
が居ることが判明する。ある運送会社の社長さんで、サンガーデンジムの常連だ。
また、その息子さんと、今回の参加者で1番若い建材屋さんが親しいということも
わかった。私が昨年度、ある団体の役員をしていた時、その委員をされていた鉄鋼
会社の社長ご夫妻もツァーメンバーだった。
夕食が済んで、ホテルに帰ると、もう11時過ぎだ。明日のモーニングコールは6
時で、7時半に出発だという。また、荷造りだ。
明日は、マドリッドに向かう。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1021】著者 I.P 1996/11/10 14:19:40 2555 byte
《コメント先 No.1020 このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ヨーロッパ西端紀行10>I.P
午前6時のモーニングコールの前に目が覚めた。朝食は、7時からなので、トラン
クを6時45分までに、ドアの前に出すだけだ。7時半の出発ということなので、
朝食前に、個人会計の清算をする。それにしても、忙しい旅だ。飛行機は予約なし
のバスのようなシステムになっている。空港で先着順に受け付けてくれるそうなの
で、急がされてしまった。
結局、狙いの便が確保できたので、予定通りの旅程で、スペインの首都、マドリー
ドに到着した。ホテルは、ウェリントン。チェックインし、昼食に行く。添乗員の
高橋さんは、昨日までの食事について、参加のメンバーから、いろいろと文句を頂
戴し頭が痛かったのか、とうとう最後の手段として、日本食を用意した。「うどん
」がメインで巻寿司をつけ、数の子、ほうれんそうのカツオまぶし、イワシの酢の
物が出た。キツネうどんだ。お醤油味に飢えていたのか、皆に大好評だった。特に
、林田でドライブインを経営する奥様が太鼓判を捺された。高橋さんも胸をなで下
ろしていた。添乗員の仕事も楽ではない。
昼食後は、日本語に堪能な現地ガイドが合流してくれた。「マリア」という。まず
、スペイン広場へ行く。世界各地にスペイン広場があるが、ここが本家本元だ。ド
ンキホーテの銅像がある。流暢な日本語でガイドしてくれた。圧巻は、プラド美術
館へ入ってからだった。全て観賞するには時間がなかったが、エルグレコ、ダリ、
ベラスケスなどの歴史を交えた説明は、流石にガイドライセンスを取得しただけの
ものがある。私は、前々から言っているように美術音痴だが、ベラスケスが18歳
の時に描いたという絵画を見て、深く感銘を受けた。彼の作品の数々を見ていると
その才能が理解できるような気がする。
一旦、ホテルに戻り、夕食の時間までの短い時間を利用して、ホテルから3ブロッ
ク離れた通りにある「ルイベ」へ行き、気に入られるかどうかわからないが、約束
なので一品購入してきた。海外旅行で、買い物の依頼を受けることは、正直言って
気が重い
とにかく、約束を果たしたと気が楽になり、ホテルに戻ると、制服屋の若社長さん
がロビーで待っておられたとメンバーの方に教えられた。時間を約束していたが顔
が見えなかったので、フロントから部屋へ電話してもらったが空室だったので一人
で買い物に行ったのだ。慌てて、彼の部屋に連絡すると、トイレに入っていて、電
話に出られなかったようだ。即、ロビーに降りたが私の姿がなかったそうだ。申し
訳ないことをしてしまった。
このツァーは、時間に正確どころか、指定時間の30分前には、ほとんど全員が揃
っている。15分前に指定場所に行くと、すでにほとんどの方がバスに乗っている
という具合だ。これは、疲れる
団体旅行というのは、最初の間は、まだ先が長いと思うが、半ばを過ぎると、時間
の経過が速く感じる。
さて、夕食に出発する時間が迫ってきた。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1022】著者 I.P 1996/11/10 14:21:13 4697 byte
《コメント先 No.1021 このメッセージに対するコメントが 1件あります》
『題名』ヨーロッパ西端紀行11>I.P
部屋でMSGをタイプしていて、集合時間の15分前に、部屋を出ると、水道機材
を扱う会社社長ご夫婦もドアを開けるところだった。このツァーには時間厳守の方
ばかりで疲れますねと言ってみた。同感ですとの返事だった。このご夫婦は、仲が
すごく良い。皆から、旦那さんは養子さんですかと冷やかされているようだ。
バスに乗って、夕食会場に行く。子豚の丸焼きで有名な「BOTIN」というレス
トランだった。創業は古く、ヘミングウェイも絶賛したという店だ。もう、今夜の
夕食が済めば、明日はフェアウェルパーティだ。店は、8時にオープンする。3分
ほど外で待ち、開店と同時に店へ入る。細い階段を3Fまで昇る。2組の団体席が
予約されていた。女性陣が、皆のスナップを撮ってくれる。改めて、もう旅も終わ
りに近いのだという気持ちになる。
前菜は、生野菜の盛り合わせ。赤ピーマン、トマト、アスパラガス等。ニンニクの
スープには、パン生地が沈んでいる。メインは子豚の丸焼きだ。カリっと焼いた皮
の部分が美味い。ペキンダックと似たようなものだと思っていると、肉の部分も食
べるのだと言う。豚の蒸し焼きのような感じがして、醤油が欲しい。注文してみる
と、同じツァーの女性が持参しておられた。やはり、醤油がよくマッチする。洋ガ
ラシも欲しい。
制服屋の若社長はアルコールに強い。最初からテキーラを注文されていた。それを
見ていた、建材屋の若社長は、また、一緒だと恥ずかしい思いをするだろうと渋い
表情だ。そんなことは関係なく、マイペースでおかわりをする始末。だんだん調子
が出てきたなと思っていると、突然、隣のパーティが起立し、合唱を始めた。一人
が何か演説し、皆が拍手している。呆気にとられて見ていると、画材屋の社長がこ
ちらも負けずに歌おうと言う。ガイドの敏子さんも、乗せるのがうまい。「さくら
さくら」と歌い始め、女性陣が、唱和する。隣から拍手が起こり、お返しとばかり
また合唱を始める。拍手を返し、「しあわせなら手を叩こう」を合唱。変な展開に
なってしまった。かなり酔った風の制服屋の若社長が戸谷団長に、「白鷺の城」の
音頭を談判する。座が一挙に盛り上がった。ウェイターには、アミーゴ、アミーゴ
と連発し、とうとう子豚の頭を、席に運んでもらい、耳にかぶりつく。すかさず、
林田のドライブインを経営する女社長がフラッシュを焚く。
隣のパーティは、スェーデン人だそうだ。同窓会的な集まりで、メンバーの誕生パ
ーティだ。若い男が大半で女性も数名混じった20数名の団体席だった。
すっかり盛り上がった席もお開きになり、階下へ降りると、制服屋の若社長が現地
で購入し、早速、着用のジャンパーを席に忘れていた。テキーラを3杯ストレート
で飲んでいた。ガイドの敏子さんが探しに行く。彼も流石に酔いが回ったようだ。
建材屋の若社長、制服屋の若社長と共に、この夕食会場から皆と離れ、本格的なフ
ラメンコを観賞しに行く計画だった。店を出たところで、ガイドの敏子さんにタク
シーの手配をしてもらっている時、他に希望の方はおられませんかと言ったら、即
水道のおしどり夫婦や林田のドライブインを経営する女社長、十二所前でステーキ
屋を経営する女社長などが連れていってと申し出られた。
タクシー2台に分乗し、私と酔っ払いの制服屋と水道のおしどり夫婦の4名で出発
する。後の車に建材屋の若社長が乗る。現地に着いたのは我々の車が最後だった。
タクシーの運転手さんに、玄関前で降ろしてくれとリクエストしたので、ぐるっと
一回りしたのだ。いつの間にか、フラメンコ希望者が増えていた。画材屋の社長が
盛り上がった勢いで車に乗り込んだので、ステーキ屋の女社長が、戸谷前市長の懐
刀のT氏を誘って3台目のタクシーで来ておられた。とうとう10名が本格的フラ
メンコ店に入る。店の名は、「CAFE DE CHIRTTAS」と舞台正面に
書かれていたのを、メモしてきた。スペインでナンバーワンの店だそうだ。舞台の
正面は、壁で両サイドに席が設けられている。レイアウト上、そのようになってい
るようだ。ただ、踊りがフラメンコなので、正面の席というのは意味がない。
10時半から始まる。1ドリンクだけでも入れる。4200ペセタ(約、4千円)
ラスベガスでも、ディナーショーの後は、ドリンクだけでショーが見れる。同じよ
うなシステムなのだろう。
バルセロナの洞窟で見たフラメンコは、質素なものだったが、こちらは華やかだ。
5名の踊り子が順番に踊る。ボーカルは、2名、ギターも2名という構成だった。
まず、服装だが、赤、黒、ピンク、花柄、花柄という異なる配色の衣装でスカート
の裾を手でたくし上げながらタップを踏む。ボーカルは男と決められているのか、
マイクなしで、唸るように歌う。椅子に腰掛けている者は拍手と脚踏みでリズムを
とる。舞台で踊る女は、次第に感情が盛り上がり、陶酔状態になっていく。腰の振
りも扇情的だ。男性の踊り手はいないのかと思っていると、最後に登場した。ビシ
っと決まっている。見るからに、上手そうだ。一人舞台で我々を堪能させてくれた
後、5名の踊り子を次々と相手にし、踊ってくれた。ドライブインの女社長はとう
とうフィルム切れとなってしまう。こんな音楽と踊りを見せられたら、誰でも興奮
してしまうだろう。
ここのフラメンコは、12時を回ってからが本番で夜中の2時頃まで続くのだそう
だ。それは聞いていたが、我々は12時で切り上げ、ホテルに戻った。
インスピ(つづく)
【TRAVEL/MAIN No.1023】著者 I.P 1996/11/10 14:22:44 4086 byte
《コメント先 No.1022》
『題名』ヨーロッパ西端紀行12>I.P
旅程も、今日の観光で最後だ。朝食の席に、昨夜、フラメンコ観賞の後、たった一
人で夜の町に消えていった、建材屋の若社長の姿を見たので安心する。彼は、外地
駐在員も務めた経験があるベテランだから、それほど心配していたわけではないけ
れど
今日は、マドリードから約70キロのところにある、トレドという街に行く予定。
トレドは、日本で言えば、京都のような古都にあたる。奈良と姉妹提携しているそ
うだ。ポルトガルのリスボンで見た、水深80メータのティージョ川も上流では、
タホ川という名前で、川幅も狭い。そのタホ川がトレドの街を守る掘割のかわりと
なっている。天然の城塞都市だ。イベリア半島を流れるこの川は、全長1240キ
ロもあるそうだ。
町全体が中世そのままの姿で保存されている。天才画家、グレコは、16世紀にト
レドに魅せられ、住み着いた。彼の描いた「トレド景観」は、今日のトレドと比較
しても、そんなに変わらないとの定評がある。
トレド大寺院(カテドラル)は、13世紀、フェルナンド3世時代に着工され15
世紀に完成した、スペイン・カトリックの総本山。宝物殿や法衣室など、内部をマ
リアさんのガイドで案内してもらう。ステンドグラスが陽光を浴びて美しく輝いて
いた。ゴヤ、ヴァン・ダイク、ルーベンス等の絵画が絵画館にある。天井はフレス
コ画。
細い石畳の道をよく見ると、ローマ人の造った石畳とアラブ人が造った石畳とでは
全く異なる。小石をちりばめたような石畳は、アラブ風で、四角い石のブロックを
びっしりとタイル状に敷き詰めたものがローマ風だ。くっきりと分かれている。
グレコの家も昔のまま保存されているが、中には入らなかった。
坂道を2時間も歩くので、年配の方は大変だったことと思う。タホ川にかかる石橋
を渉るとバスが待っていた。川を挟んで、トレドの城塞をバックに写真を撮影して
もらう。いつものように、私は自分のカメラを持参していない。女性陣は1日に数
本と決めて、盛んにシャッターを切っておられる。あとの整理が、こんがらかるの
ではないかと思う。そんな時、私の旅行記が少しは、役に立つのかもしれない。写
真を頂戴した時のお礼にもなるだろう。
昼食は、城塞の中の「HOTEL DEL CARDENAL」というところで、
パエリア料理を食べる。昔、ガス会社のコマーシャルでパエリアは一躍有名になっ
たが私は、初めてだ。私の席は、ある信用金庫前理事長さん、画材屋の社長、おし
どり夫婦の奥様と4名だった。ここでは、仲の良いご夫婦を一時だけ離れてもらっ
た。前理事長さんとは、囲碁の話。私が、現在、インターネットで囲碁を楽しむ方
法について研究中だと伝える。GOTERMを利用したパソコン通信の対局は、す
でにマスターしたが、地球規模で同様の対局が可能らしいのだ。奥様は、旦那様と
離れた席でも、同じツァーの方々と楽しくくつろいでおられる。男が台所に立つと
いう問題については、嫌だと意見を述べられた。旦那が料理に興味を持ち、一度、
挑戦してみようかと言っておられるそうだ。この話題は、前理事長さんがが出した
ものだ。私は料理なんて絶対に嫌だ。
ホテルに戻る。これから、午後8時までは、自由時間だ。ちょっと、外へ出よう。
中心商店街を一人で歩き回る。昨日、制服屋の若社長と約束して行き違いになった
ので、今日は、最初から単独行動にした。
日本では、斜陽産業となってしまった映画館が、ここマドリードでは大流行だ。映
画館の前には開場を待つ人々が行列を作っている。
今回、私は、スイミングパンツとゴーグルを持参していたが、室内プールはなかな
かない。このウェリントンホテルには、屋外プールがあるが、寒くて誰も泳いでな
い。せめて、サウナだけでも入ろうと、行ってみた。小部屋に低温のサウナでがっ
かりしたが、長時間入っていると汗ばんでくる。久しぶりのサウナだった。
これからも最後の晩餐会が、ホテルで開催される。とうとう、ツァー全員の顔と名
前を覚えられなかった。初対面の方が多くて、おまけに、私は常に一人部屋だった
こともある。おまけにMSGのタイプの時間も欲しい
団体行事が多すぎて、自由時間の少ない旅だったが、時間を盗み、コツコツと書い
てきたMSGも、そろそろ終わりに近づいた。最後の晩餐会の模様も報告してみた
いと思ったが、明日は、早朝のモーニングコールで帰国だ。食後は、最後の荷造り
が残っている。とても、MSGを書いている暇はなさそうだ。また、今回だけは、
帰国してから、しなければならないことが沢山あるので、この辺りでファイルを閉
じることにしょう。
ここまで、付き合って下さった皆さんに、感謝します。
インスピ(完)