事務局きまぐれ日誌(第37号)


JSC月報37号

事務局きまぐれ日誌

<某月某日>
正月早々、大阪の姪から電話。「叔父さんのアドレスを教えて」と言う。何事か
と思って聞き直すと、やはりインターネット関連だった。年末にパソコンを一家
で共同購入し、あれこれ苦心して、やっと、E_MAILをテストするところだ
そうだ。パソコン通信を飛び越して、いきなり、インターネットとは・・・・・・。
昔、よく私の家に遊びに来ていた幼かった女の子も、今や、大学生。苦笑しなが
ら、私のメールアドレスを教えてやると、ちゃんと、メールが届いていた。それ
を切っ掛けに、文通が始まった。父母や姉は、マニュアルも見ないで、ムチャク
チャ操作するとハラハラして見ていたらしいが、私は、失敗を繰り返したほうが
、早く、身に付くだろうと思っていた。やはり、E_MAILをマスターしたの
は、妹のほうが先だった。いまのマシンは、少々、荒っぽく使用しても、壊れな
くなっている。恐れずに色々いじり回したほうが、上達が早い。そういえば、金
澤編集長は、もうIDを取得されただろうか?

<某月某日>
私の白内障の手術結果を知った同窓生が、早速、私が手術を受けた神戸の海星病
院へ入院した。結果は、上々。喜んで、私の携帯電話に報告してきた。まるで嘘
みたいに、もやもやが晴れたそうだ。気持ちは、わかる。誰でも、目の手術とい
うと尻込みするものだ。事実、取引金融機関の常務さんにも勧めてみたが、どう
も乗り気ではない。私のコラム(先月号日誌の一文)を抜き出して、届けておい
た。白内障の手術が成功して、よく見えるようになったと喜んでいる方は多いが
その体験談を文章にして残す方は、少ない。幸い、私には、パソコン通信とか、
この欄のように発表の場がある。

<某月某日>
先月号に転載した、泉田先生の原稿は、ニフティサーブの流通フォーラムに掲載
されていた。泉田先生から、E_MAILが私のメールボックスに届いていたの
で、拾えたものだ。パソコン通信といっても、膨大なボードがあり、すべて読む
というのは不可能だ。普通なら、ボードに埋もれるMSG(メッセージ)も、こ
ういう形で、印刷物にしてしまえば、別の価値を生むだろう。

<某月某日>
マイツールのホームページがリコーサイトにオープン。 http://www.rich.co.jp
からリンクされている。私がアクセスした時は、まだ、工事中だったが、この号
が届くころには、充実したホームページになっているだろう。「つなぐくん」と
いうのは、ザウルスとマイツールのデータリンクソフトのことだ。イージーコン
ピューター・システム(株)から9800円でリリースされた。いずれも、元ネ
タは、マイツールマガジン101号だが、この号には、ドキリとさせるサブタイ
トルが付いている。すなわち、「中高年パソコン難民を救おう」というものだ。
内容は、私の想像していた通りだった。この記事を取引金融機関の支店長にご覧
に入れたら、しばし、考え込んでおられた。新任の次長は、私の指導でパソコン
を購入するという話になった。以前から買おうと思っていたが、相談する相手が
いなくて、ためらわれていたそうだ。私の世話といっても、その元は、前にも紹
介したことがある「困った時のRINちゃん」だ。身の回りにパソコンのエキス
パートが居てくれるというのは、心強いものだ。

<某月某日>
私の所属する囲碁同好会が、私を含め3名の初段昇進記念囲碁会を開催してくれ
た。初段位を獲得して以来、碁石を握っていない。先輩の関西棋院の認定初段を
持つS氏が私の今年初の対戦相手だった。私は、日本棋院の初段免状を獲得して
いるので負ける訳にはいかない。気合いの入れ方が違ったのか、結果は嬉しい白
星だった。この碁会では、我々JSCの顧問税理士、澤田先生には、5子で負け
てしまったが、3位入賞を果たした。澤田先生は、4級の実力が付いたようだ。

<某月某日>
赤穂ネットのオフラインミーティングが開催された。ネット上では旧知の仲だ
が、直接、顔を合わせるのは、初めてだ。パソコン通信の醍醐味は、こういう
機会にある。数名がデジタルカメラ持参だった。二次会は、川柳作家で有名な
大西泰代さんが経営するスナック「文庫ヤ」だった。昔は、姫路に店があった
が結婚されて赤穂に移転した。そのママと一緒に撮影した写真が、赤穂ネット
に登録された。また、インターネットのホームページにも掲載された。その画
像を、姪に転送してやった。ついでに、昨年、私が書いた旅行記も添付してや
る。膨大なファイルだが、送信に要した時間は、僅か数秒だ。その返信が面白
い。「いま、試験勉強中なのにー、なんてことしてくれるの。でも、すっごく
楽しかった。さぁて、いまから・・・寝ようっと。」というものだ。時代は、
インターネットだと騒がれる理由(わけ)も理解できる。

<某月某日>
東京のHH会館で、得平先生の講演会を開催したところ、12名も参加してく
れた。その中で、ミッキー堂の相良さん、エースの乙村さんが、インターネッ
トを開始されたという。この月報が切っ掛けであれば、嬉しい限りだ。また、
金澤編集長は、得平先生の指導で、マックマシンを購入されていた。間もなく
通信を開始されるだろう。そうなれば、この月報の製作過程も大幅に異なった
作業となるだろう。E_MAILの楽さ、有難さを認識されることと思う。
同日、JSCの理事会があり、長年、借用していた成瀬会館の部屋を3月の決
算時にお返しすることに決定した。この月報編集業務も、故成瀬先生からの遺
言で無報酬でお願いしていたが、改めて独立された金澤氏と有償契約した。残
存する書類の破棄は、田中専務理事に一任した。

<某月某日>
公金乱用かと思った。赤穂市役所の封筒で、先日のオフラインミーティングの
画像をプリントしたものが、私に郵送されてきた。送り主は、赤穂市の公務員
S氏だ。インターネットで、自分もアクセスできたという証明だそうだ。しば
らく考えていて、私も、赤穂市長から正式に委嘱状を頂戴している赤穂ネット
関係者だったと、思い起こした。すると、これは、私用ではなくて、立派な業
務連絡文書にあたるようだ。市民オンブズマンがどう言うかしらないが・・・・・・