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段々、要領がわかってきた。
YouTubeを何気なく覗いていたら、NAMEさんのHPで、以前に拝見して、気に入った「曲」があった。あんな動画は、どうすれば自分の
ヘージに貼り付けできるのか、当時は、羨ましく思っていたものだ。しかし、ネットでいろんな方々のサイトを見て回っている間に、少しづつ
理解できてくるものだ。YouTubeも、最初は、敷居が高くて、入会しても、ウロウロするだけのことだろうと思っていた。
「習うより慣れろ」という言葉通りになっている。いま、「インスピモール」の修復工事に手を染めているが、契約アフリィエイトの広告の掲
載ルールというか、方式が、全部異なっている。戸惑うが、これも、研究の対象になって、なかなか面白い。飲み込みまでは、時間がかか
るが、それをトッパして、私の言う「ルーチンワーク」の世界に入ってしまえば、何度も言うようだが、1日かかっていた作業が、たったの数分
で済んでしまう。自分の理解が深まったのだろう・・・
今日は、昔、地元ネットのハンドルが「刻舟」さんという方にも少し触れてみたい。この方は、博識で「オメメ」先生と双璧をなしておられた。
お二人は、同年輩だった。「刻舟」さんは、残念ながら、今は鬼籍に入られている。「オメメ」先生は、健在で、今も健筆を揮っておられる。
オメメ先生の「こだわり語源紀行」
で、その「刻舟」というハンドルの由来を尋ねたところ、中国の故事「刻舟求剣」から、命名されたそうだ。私のハンドルの「インスピ」とは
訳が違う。私のは、実名で「実験局」にばんばん、投稿していたので、「姫路タウンネット」に変更になった時に、ハンドル(通信上のニック
ネーム)を考えておいてくれというので、閃いた文字通りの「インスピレーション」を省略して、深く考えもせず、「インスピ」と名乗った。
このお二方がネットの主として居られたので、後に参加された、「NAME」先生も、このネットは、他のBBSとは違うという評価を下された
のだと思う。人材は、まだまだ居られた。最初に、私と友人が、モデムを教わったADAMさんという船員生活を定年退職され、悠々自適の
生活を送っておられた方も居た。皆、それぞれに個性溢れるMSGの書き手だった。技術面では、なんといっても、「困った時のRINちゃん」
を筆頭に、もう忘れるくらい沢山のメンバーが揃っていた。
ISHというテキストモードに変換して、当時のバイナリーモードでは、書き込めなかったソフトをボードに投稿したりしていた。もう手順も忘
れてしまったが、この重労働の部分は、私も随分、担当したものだ。ちなみに、「GOTERM」を姫路に運んだのは、私だった。
MS−DOSをボードで、学んだのは、私くらいのものだろう。しかも、質問しまくっていたので、ROMの方も、Q&Aを眺めているだけで
相当、勉強になったことと思っている。初歩的な質問から私は、平気でしていた。あまり難しい返答には、はっきり、わからん。とかどちら
が先生で生徒か、わからないような、失礼なことばかりしていたようだ・・・しかし、それでも、面白がって、ボードに返事の返事があったよ
うだ。
今、刻舟さんの話をしているところだった・・・ この方の話になると、沢山ありすぎて、どこから話をしていいのやら、全く困ってしまう。
いろいろあるが、一番、大きなことは、彼が呼び掛けて、メンバーの竹田実由希さんという女性が、ボードに綴ったMSGを1冊の本に
するという企画だった。
ここから、彼の言葉を引用する・・・少し長いが・・・これは、推敲された文章だから、読み応えがある。
> 姫路市に竹田実由希さんという26歳の女性がいます。
>もし、私たちが普通の方法で彼女に会っただけでしたら、「車椅子で、首が定まらず、動くのは右手だけ、こちらの言うことはわかって
>いるようだが、彼女のいうことはさっぱり聞き取れず、気の毒な方だなぁ」という、通り一辺の感想で終わっていただろうと思います。
>そう、彼女は先天性の脳性麻痺で、歩行はおろか、何とか動くのは右手のみ、喋る言葉は両親でも半分は筆談によるほどで、もちろ
>ん私たちには全く聞き取ることはできません。
> 私たちは、体の機能に障害がある人を見ると、その外見から、つい精神活動まで障害があるのではないかと思い勝ちです。これは
>とんでもない思い違いだったのです。
> 実由希さんとの最初の出会いは姫路市にできたパソコン通信「はりまタウンネット」のボード(掲示板、だれでも読み書きできるコー
>ナー)上でした。
> そのボードに書き込まれた彼女のメッセージを見て、あっと驚いてしまったのです。
> そこに書かれたメッセージは、彼女の見かけからは想像も出来ないような、知性と感性とユーモアにあふれ、いきいきとしたものだ
>ったからです。
> たちまち、その「はりまタウンネット」には、「ハーティトーク」というSIG(Special Interest Group.ある特定のテーマについて語
>り合うボード)ができ彼女がシグオペ(SIGをとりまとめる責任者)に推されました。
> そこで福祉や心のふれあいに関する様々な会話が交わされていったのです。
> 私たちは彼女から、障害者の生の声を聞き、さまざまなことを教えられていきました。
> おそらく彼女は、右手だけを使って、健常者の数倍の時間をかけながらポツポツとキーボードを叩いていったのでしょう。
> そのうちに、彼女の半世紀の連載が始まりました。
> みんなの読後感、励ましのメッセージに支えられながら、3年近くにわたって書き続けられました。
> そこには、赤裸々に障害者の悩み、苦しみを訴えるだけではなく、少女時代のデリケートな感情、恋心、あこがれ、友人間のほの
>かなジェラシー、負けず嫌いの心情、そうして真の心の友人を得ていく過程が描かれていったのです。
> さらに、執念をもってワープロにかじりついて習得する過程、そしてパソコン通信で多くの友人を得るありさまが実に生き生きと語ら
>れていきました。
> やがて、この話は口コミで伝わっていき、新聞で大きく報道され、そしてNHKテレビでも紹介されたのです。
> おりしも、2年近くかかった彼女の半世紀の連載も完結し、これを出版しようとの機運が一気に高まってきました。
> 彼女自身は、簡易印刷で文集程度のものを考えていたようですが、どうせ出版するなら本格的な製本をして出来るだけ多くの人に
>読んで貰おうと、自然発生的にボランティアの出版委員会ができ、会員の総力をあげて取り組むこととなりました。
> おそらく、ことの成りゆきに一番当惑したのは、著者の彼女自身ではなかったかと思います。
> この本の序章は、「はりまタウンネット」の中で実由希さんが折にふれて書いたエッセイと、仲間たちの応答のドキュメンタリーから始
> まります。
> やがて、彼女自身の半世紀の連載が始まってからは、それを軸にして、パソコン通信の仲間たちとの間で交わされた心温まる会話
>がからみながら同時進行していきます。
結局、全文、まるまる引用となってしまった・・・
この巻頭の言葉は、当時の姫路市長 戸谷松治、 マンガ家 すがやみつる、 NHK神戸放送局ディレクター 小林一郎
表紙 いわさきちひろ さし絵 和久 洋三 他
そして、本の題名は、「ing・・・見えない頂上に向かって」
定価 1500円(税込み)
残念ながら、今は、もう絶版となっている。
この時、「すがや みつる」さんに頂戴した原稿を、前の「インスピルーム」に保存していたのだが・・あれは、どこかにあるハズだ・・
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