[第2回 モーターホームの旅」(その2)

 [2009/05/02-2009/05/04]

 パトカーが去って、暫くしてから、ブジョーのモーターホームは漁港を後にした。つぎなる目的地は、「ひなびた温泉」だ。できるだけ人が、あまり寄ってこないような、温泉地を探して、地元の人しか入らないような、古い温泉に浸かりたいという希望を持っているのは、M氏だ。このモーターホームの旅の為に、彼がネットの検索で調べてほしいと注文をしたのは、ひなびた温泉と、古墳関係のものばかりだった。歴史が好きだけれど、その息子に、親父は平安時代までだなと憎まれ口を叩かれているそうだ。草木の世話を唯一の楽しみにしているのは、血筋だと思う。奴の親父も、私が遊びに行く度に、庭木の世話ばかりしていた。

 元湯温泉というのを発見した。古い湯治場で、道幅は狭い。案内所は、無人だったので、彼が偵察に街中を歩いて調査に出向く。もう一人は、プジョーが反転できる場所を探しに出かけた。私は、何もすることがないので、車内に寝転がったり、少し、外にでて、景色を眺めていた。街中を偵察するにしては、時間がかかっている。道路幅や対向車線から来る車の退避場所の確認や、パーキング場所の調査、入浴可能な温泉の確認に手間を取られているのに違いない。

 やがて、やっと見つけたと帰ってきた。万歩計を所持して、今日は万歩近くまで歩くことができそうだと言っている。もう、執念に近い。それほどまでにして、本物の温泉に浸かりたいと思うのかと感心してしまう。車を反転させてきて、偵察してくれた道を進むが、道幅、ギリギリだ。おまけに対向車はやってくる。短い距離を慎重に走らせて、やっと案内人のところまで来た。そこから駐車場まで、かなりの道のりがあったが、駐車させなければ温泉には入れない。少し傾斜地で上の方にパーキング場があった。

 とことこと温泉街を歩いていると、廃屋となった屋敷もある。看板を見ると、やはり温泉宿だった。と思うと、この連休で満室と表示看板が誇らしげに掲げられている小さな旅館もある。本当にひなびた街だ。古い温泉銭湯が目指す湯だった。玄関の引き戸は木製で、ぎしぎしとしているし、狭い銭湯の割りには、地元の方が大勢入っている。脱衣場には、地元民の入浴道具入れが、狭い棚に多段にわたり、所狭しと置いてある。預けっぱなしにしているのだろう。湯船は小さく、3個あり、洗い場は、驚いた事に傾斜している。湯船には、湯の花がフチに数センチも積もり、盛り上がっている。ローソクを溶かしたような、あるいは、鍾乳洞でみる鍾乳石のような、乳白色より、青や緑がまじったような色目のものだ。温泉好きのものにはたまらないものだそうだが、サラサラのお湯に入っている私にとっては、まことにどう表現すれば良いのか戸惑うようなものだった。お世辞にも綺麗なものには見えない。湯は、黄土色で、けっして透明なものではない。しかし、これが本当の温泉だとして、喜色を満面に讃えているM氏の手前、話を合わす。湯船は、満員だったので、暫く洗い場で待っていた。U氏は、一番、端の浅い湯船に仰向きになって入っている。M氏は、最初から一番、高温の湯船に浸かる。チョロチョロと湧き出してくる湯をコップに受け、飲んでいた。狭い洗い場で、体を洗ったが、石鹸の泡は立ちにくい。いま、U氏がくれた説明書を見ながら、書いているのだが、泉質は、ナトリウム−塩化物素(低張性中性高温泉)、泉温 49.7度C 使用位置 46〜40度C からはじまって、陽イオン 陰イオンの中身の説明や遊離成分 非解離成分 溶存ガス成分 その他の微量成分等々、私には何のことかさっぱりわからない説明が書いてある。2008年 県決定 温泉津元湯泉薬湯 諸事項という紙片だ。貰ったから、見ながら書き込んだが、あまり面白いものではない。やがて、U氏が湯船から出たので、私が入る。浅い湯船に、やはり仰向けに浸かっていると、そんなに熱い湯ではないのに、ポカポカとしてきた。やがて、汗も出てきた。これが本当の効能だろうか?湯冷めしにくいと言うが本当だろう。U氏は、手早く洗体して出て行った。私とM氏は、地元の方と、湯の温度のことや、湯の効能のことを話題に話しこんだ。M氏は、ご満悦そのものだった。これで、この旅の一つの目的は果たしたことになる。しかも、あの薄汚い(失礼!)銭湯の入浴料金が、1名300円というのは、妥当なのか高いものか安いものなのかの判断は、人によって異なるものと思う。モーターホームで、丘を一回りして元の位置に戻り、今度は第2の目的地へと向かう。

 後で考えてみれば、私がネットで探した、個人のブログの写真にあったような湯船だった。まさに、隠れた源泉に浸かっていたのかもしれない。その時は、私も不遜なことを考えたが、良い経験をさせてもらったのかもしれない。M氏には、普通の人間と異なった何かがあるようだ。長い付き合いだが、彼の言う言葉のひとつひとつに味わいがあるようだ・・・その彼が言う言葉の中に、この2名だけが友達で居てくれるなら、もう他に友達はいらない。というのがある。これには、U氏の奥様も私の家人も、呆れてしまって、次の言葉が出てこないみたいだ。

 ここから、後部ペッドに仰向けに寝て、宍道湖の横を通っているなと、昔の旅行の思い出を辿りながら、心地よく眠りに入った。有名な温泉には近寄らないことにしている。玉造温泉でも豪華な「長楽園」というような事を書き込んだのは、もう一昔以上も前のことになる。

 着いたぞ!と起こされたのは、荒神谷史跡公園・博物館のパーキングだった。公園の開園時刻は、午前9時〜午後6時までで年中無休。入園料は無料。荒神谷博物館は、開館時間、午前9時〜午後5時までで、入館は、午後4時半までとある。どうにか、間に合ったようだ。最初に展示室に入館する。スライドで、荒神谷史跡の説明があった。ここもネット検索で調べさせられたところだ。銅剣358本に銅鐸6個に銅矛16本が出土したそうだ。

 後で、史跡を登ると、ボランティアの案内人が、出土の時の模様を説明されていた。この発見は、奈良県明日香村の高松塚古墳の発見にも匹敵するほどの大ニュースだった。 

 その発表には大新聞各社の記者が大勢集まって、翌日の1面トップで大々的に報じられる予定だった。

 が、1985年8月12日、520人の命が奪われた、日本航空・東京-大阪123便墜落事故が、翌日の朝刊一面を埋め尽くしてしまったという。大ニュースが別の大ニュースの為に流されてしまうというのは、よく起こることかもしれないが、この荒神谷史跡発見の報は、小さな囲み記事となってしまったと残念そうに言われていた。

 この博物館を我々が、訪問した意義は、あったようだ。レプリカの銅剣を備え付けの手袋をはめて持ち上げてみたが、ぴかぴかと光っていて、重量感も体得できた。発掘したものは、当然、ぼろぼろでさびていたが、元の形に作ったものだ。こんなものが、1ケ所から、358本も出土したというのは、ただならない出来事だ。しかも銅鐸6個の内、1個は、中国からの渡来品だが、後の5個は、真似て日本で製造したものとも判明している。弥生時代の、この地域の繁栄ぶりが偲ばれる。

 私も自分で訪れたから、この文章を書く機会が得られた。いまからでも、小さなものだけれど、スポットを当てることが可能だ。やはり、M氏の慧眼は、ただものではないみたいだ・・・これで、M氏が望んでいた目的の2つは果たせたことになる。もう、変なロマンチストという解釈はやめて、偉大なロマンチストと認識を改めた。この史跡公園で私のステッキの先にあるゴムが壊れてしまった。百円ショップで購入して気に入って持ち歩いていたものだ。仕方ないまた、帰宅してから購入しようと決めた。あのような店は、タイミングで買えたり買えなかったりする。どんな品も売り切れ御免となっている。発見した時が買い時と明確に決まっている。追加は当に出来ない。

 荒神谷史跡公園を後にして、今夜の寝る場所を探しに出発した。境港(さかいみなと)方面だ。まず、モーターホームを駐車させる場所を探しておいてから、夕食の段取りをする。境港は、隠岐の島へ旅行した時に、釣り船の船頭さんからよく耳にしていた港だ。季節も春。上にリンクした旅行記の中でも、隠岐の漁師は、釣った魚を境港に運んでしまうという箇所がある。あの時はレンコ鯛だった。

 どうやら、境港の海岸の広場に多くのキャンピングカーが集まっている場所があった。この連休の間は、どこへ行ってもモーターホーム(キャンピングカー)は見かけることが多くなってきたように思う。日本にも本格的なブームが押し寄せているようだ。我々が利用している、プジョーのモーターホームは、購入してから7年以上経過しているが、なかなか快適なものだ。エンジン音も静かだし、燃料効率も良い。

 今夜の寝場所が決まったら、夕食の段取りだ。今回の旅では、自炊は一切しないと決めている。食堂か、出来合いのものを購入して食べる。少し行くと、回転寿司屋があった。一瞬、ここで済ましてしまおうかと思ったが、前を見れば、巨大スーパーマーケットがある。そのパーキングに駐車して中に入る。ヨーロッパ発祥のハイパーマーケットの小型版のようなスーパーマーケットのようだ。レジがずらりと並び、鉄骨スレート葺きの簡単平屋式で面積もバカデカイ。食料品中心に、多くの品種が格安でならんでいる。魚の鮮度も良好だ。寿司の値も、回天寿司の店でたべるより安い。酒、ビール類も揃っている。買い物籠に適当に放り込んで行く。各自が食べたいものを選んで、食べれる量も、各自の責任でという具合に選択していく。そうすると、3名の適量となり、一緒に食べる時に種類も多くなっているという算段だ。夜は、運転しなくてもいいから、アルコールは解禁だ。

いろいろなモーターホームが、ここを寝場所として集まっていた。正面の建物は、かなり遅くまで、煌々と光を放ち、エレベータが上下していた。左側は海で、ここには、夜釣りを楽しむ人々が、竿を振っていた。我々のモーターホームは海よりに駐車して、酒盛りが始まった。互いに、昔ほど呑めなくなっている。

朝の市場で購入したのは、やはり、隠岐の島の漁師が釣ってきたレンコ鯛であった。私が、昔に釣ったものより一回り大きなサイズだった。


 買い物を済ませ、下見していた場所に戻る。ざっと見回したところ、モーターホームが10台以上は離れ離れに駐車していた。中には、3〜4台ほど並べて駐車しているグループもあった。岸壁では、夜釣りを楽しむ人達が竿を振っている。明かりを放つ建物があり数機のエレベーターが上下を繰り返していた。何をする建物か判明しなかった。車内で、購入してきた食料とアルコール。昔に較べて、量はあまり進まない。私は、昔から、日本酒やワインはダメで、ビールやウィスキーなら、喜んで呑むほうだったが、弱くなっている。禁煙は成功しているが、禁酒はしていない。なのに、これではほとんど禁酒したのと同じだ。連中は、日本酒を呑んでいる。今夜もM氏のイビキ攻撃に耐えるしかない・・・明日は、朝の市場で、土産に鮮魚を購入してから午前中に帰り、姫路で昼食にすることにした。

「登場人物の紹介」


左から、M氏、真ん中が「インスピ」右がU氏。この3名が、いつものメンバーで、第1回のモーターホームの旅から、ずーと一緒だ。当然、モーニング会は、この3名で開催している。もう、「あらかん世代」となってしまったが、それぞれ個性だけは強い。この写真は、浜田漁港で、撮影したもの。左のM氏の肖像権云々は、無視して、掲載するものだ・・・私が、両手に持っているステッキは、M氏が息子からプレゼントしてもらったもの。スキーの時に使うステッキみたいで格好が良い。


                              (了)  もう1度、最初から読む