「時計・・・」

 枕元でけたたましい音がするので、飛び起きた。目覚まし時計が、がなり立てていた。昨夜、セットしておいたのだった。今、「とけい」とタイプしても、変換候補に「時計」は、すぐに出てこなかった。仕方ないので、「とき」と、「けいそく」で変換して、「時計」と表示させた・・・

                      −−−続きを読む−−−

もう、「時計」という言葉は、それほど頻繁に使われなくなっているのかと思わず、驚いた。昨夜、セットしたのは、今朝、例のモーニングの会があるからだった・・・現役を離れると、そう早朝から起きる必要がなくなり、遅くまで寝ている場合が多い。景品の目覚まし時計が役に立った。

 そういえば、腕時計も、必要なくなったのは、携帯電話を所持しだしてからだった。それでなくても、街中(まちなか)で仕事をしていると、腕時計の必要性は、ほとんどない。ファッションとして持つなら別だが、腕時計の必要性が、ほとんどない事に気がついたのは、いつごろだったのか・・・数年以上前だった気がする。その時に、丁度、私の腕時計が壊れて、修理するか新品にするかを考えてみた結果、必要なしと判断したのだった。最初は、左腕がなんだか頼りなく感じていたが、外した生活に慣れてみると、今度は、腕時計をするというのは、かえって面倒で、邪魔だという感覚になっていた。時刻を知るには、携帯電話でも、街中のアーケードの吊り下げ時計でも、どこでも、知ることができるので、あまり不便は感じなくなっている。ネットでは、ブログの時計は、NHKの電波時計だから、断り書きにあるように、不正確なものではない。まさしく、正確な時刻を知らせてくれる。

 いまなら、電波時計で、ソーラー充電のもので、防水性能があり、水圧にもある程度耐えるものが、格安で販売されている。ほとんど1万円前後で求めることも可能だ。一昔(ひとむかし)前では、自動巻きの時計が流行っていた。普通に腕に付けて、歩き回っていると、勝手に内部のゼンマイを巻いてくれるものだ。それも古くなってしまった。世の中は、アナログからデジタルに向かって進化している。電池式のものが出てきた。しかも電池寿命も5年間あるというものまで・・・

 先日、報告しているように、ストップウォッチが百均で購入できる世の中になっている。しかも、そんなものでも、時計機能が付いていて、デジタルで正確な時を知らせてくれる。これは、使い捨てだが、電池交換すれば、物理的に壊れるまで、いつまでも利用できる。

 もはや、ファッション用品としてしか、腕時計の必要性はなくなってしまったのだろうか?数百万円、千万円以上もする、スティタスシンボルとして、私有される富裕層の人達は別にして、最早、中途半端な価格帯(数十万円を含む数万円)の腕時計は、選択するのに悩む必要もないものと化してしまったのかもしれない。

 朝、起きて、する事がなかったので、モーニング会に行く時間潰しに、上の行まで書いていた。読み返すと、これでは、街の時計屋さんも、経営的に大変だろうなと想像が付く。アンティークなゼンマイ仕掛けの時計を修理する職人さんの数も減っているが、私の知っている時計屋さんは、いま、大人気で、修理を待つ客で賑わっている。技術があるからで、そのような時計屋さんの数は減ってきているからだと思う。仕入れて売るというのは、商売の鉄則だが、それだけでは、いつまで経っても、在庫と睨めっこの経営で、行き詰ってしまう。

 今朝のモーニング会では、今夜から出発のモーターホームの旅の最終打ち合わせがあった。連休で、高速道路も、ETC割引の適用を受け、混雑しているので、空いている時間帯からの出発となった。宿泊の心配は無用のモーターホームだ。食事も、できるだけ自炊しないで、その地でしか味わうことの出来ないものと決めたが、別に何でもいい。有名な観光地は避けて、混雑していないようなところへ向かう。大体の行く先方面だけは決めているが、別に、こだわる必要はない。おおざっぱな地図を頼りに気の向くままの旅となるようだ。また、気の向くままの日程で、およそ2泊くらいを考えているそうだ。

 私も、携帯の充電器とノートパソコンは、持って行く。道中のアクセスは、おそらく、しない。従って、このMSGも今夜からストップとなる。道中、することがないから、つまらない駄文でも、作成するつもりだが、これは、あくまでも気が向いた時だけのことだ。前に書き上げたものは、帰宅してから書き込んでいる。あの時は、パソコン持参ではなかったみたいだ。その時と、まったく同じメンバーで出発する。

 忘れない間に、前の記事の補足をしておこう。効率よく・・で紹介した夫婦の件だ。姫路では、5億円分のお買いもの券が発売になったそうだ。わずか1割、得するだけのものだが、凄い人気で、どこの売り場も超満員となっていて、夫婦が手にしたのは、僅かに2万円だけだったとか・・・お気の毒としか言えない。日当どころか、これでは、まったくの骨折り損だ。でも、商店街では30%OFFとか、半額セールなんて、ざらに行っているのに、たった10%OFFという券に群がる心理というものも不思議な気がする。

 「すがや みつる」さんから、こんな案内が届いていた。以前、ecoさんが、統計が大事だとのMSGを掲示されていたので・・・

 サウナから帰宅すると、パソコンまで、綺麗に荷造りされていた。まだ、時間があるので、何か付け足そうとしていたが、もういいやと、テレビを見た。勝っていたハズの試合が逆転されている。こんなものを見るくらいならと、またパソコンをセットした。それでも、気になるので、背中でテレビの音声を聞いている。反撃開始・・・同点!!

 羽純さんの、新しい放送をダウンロード中だ。やはり、時間がかかりそうだ。出かける前に聴けたらいいのに・・・

 羽純さんの、新しい放送分が流れてきた。出かける時間まで流しておこう。後ろのテレビの音声も気になる。絶対的な押さえのエース、藤川が打たれた・・・9回の表だ。放送の時間切れ・・・裏画面をプロ野球ニュースに切り替えた。もう・・・出かける時間が迫ってきた。

 クリック募金も、お休みになる。皆さん、ご協力を!!バナーは、この下の段にも、ブログ本体にも、私のホームページにも置いている。


[本日届いたメール]

 今日から、モーターホームの旅に出かける関係上、暫く、休載。

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[禁煙タバコの4つのサイト] 

     


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またもや寛平さん、表紙飾っちゃいました!

明日5/2(土)発売の、
ヨット雑誌『KAZI』6月号は、
太平洋横断中の寛平さんが表紙です。

そして、この写真を撮った比企さんの
ロングインタビューも掲載されています。

久しぶりの“シーマン”2人の登場です! 

137日目スタート!!

午前6時52分(日本時間午後9時52分)、気温13℃、
今日も曇り空の中、スタートしました。
寛平さん「今日は、二日連続プリウスアイズや」

※プリウスアイズとは、プリウスの車内から、
  寛平さんの走りを100kmごとの通過地点を撮影しているもののことです。

ちなみに本日のプリウスアイズ撮影地点まで、60.2kmです。
これまで毎日50km以上走ってきましたが、
二日連続のプリウスアイズは初めてです。

牛・牛・牛…

寛平さん「なんじゃこりゃ!?全部牛やろ!!」

写真で見る数倍の広さの土地に、
牛・牛・牛・牛…。
とにかく、見渡す限り牛ばかりです。

走る男。

アースマラソン初です。

導き?

アースマラソンRUN初となる雨。
その中を2?3時間走ると、本降りになると思われた雨が、
いつしか上がりました。
そしてさらに、しばらく走ると、
何かに導かれるように、ここに到着しました。

アマチェ日系人収容所

スタート後、程なくして雨が降り出しました。
最初は霧雨程度でしたが、
徐々に雨粒も大きくなり、本格的に振るのではないかと思い始めたころ、
いきなり雨が止みました。

しかし、スタート時には13℃あった気温も、
昼ごろには5℃と、どんどん下がり、
寛平さんも寒さに耐えながら走っていました。
体を冷やさないようにと、暖かい飲み物を用意するため、
何気なくサポートカーを止めた所が、
アマチェ日系人収容所後でした。

ここでは、実際に寛平さんが見た、
アマチェ収容所の記念碑に書かれていたものを
翻訳しましたので掲載します。


【グラナダ収容所(アマチェ日系人収容所)】

第二次世界大戦が始まって一ヶ月、アメリカ政府は11万人の在米日系人に収容所へ
の一斉移転を通達した。政府の通達は世界大戦が始まると同時に急速に広がった国民
の世界情勢への不安、日系人への差別が反映されたものだった。

ただ収容された人々の2/3は日系ながらもれっきとしたアメリカ国民であり、その
うちの一人として、スパイや機密行為を実際に行っているものはいなかった。

収容された日系人はトイレ、シャワーを浴びるために朝から行列を作り、収容以前の
職業に関わらず、農業、病院勤務など施設内の限られた仕事を、以前の収入とは比べ
ものにならない程の安い賃金で働いた。そしてその子供たちはキャンプ内に作られた
学校に通った。一家族が6人の家庭は約6メートル×7メートルのバラックを与えら
れ、一つの電球の下、バラック内に水道もトイレもない生活を強いられた。

1942年8月から1945年10月にかけて1万人以上の日系人が鉄条網に囲まれ
たこのグラナダ収容所、通称アマチェ収容所に住んでいた。当時、アマチェ収容所は
コロラド州の中でも10番目に大きいコミュニティーであった。

※動画クリップ中に、こちらの収容所に11万人収容されていたという
  寛平さんのコメントがありましたが、
  英語の読めないぶーやんと寛平さんなので、勘違いしてしまいました。
  実際に書かれているのは、上記に記されている人数です。

※上記の翻訳は、あくまでも記念碑に書かれていたものを翻訳したものなので、
  同行スタッフは史実を確認していません。
  その点はご了承下さい。

137日目ゴール!!

アマチェ日系人収容所後を出た寛平さんは、
雨に降られることもなく、
その後も牧草地帯を走り続け、
見事60.2kmを走りきりました。


移動距離 60.2km
所要時間 9時間47分
総移動距離 15400km


いよいよ明日は、アメリカ大陸横断2000kmを突破します!!



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                [過去のMSGへの手掛かり」 (茶を濁す 2009/02/17)

 幸い、最下行の「BACK」と「NEXT」のリンクは、付いたままだ。リンク切れのもあるが、月初、中旬、後半のファイルをピックアップしておけば、どうにかなる。

月初 中旬 後半
2008 10 初稿
2008 11 リンク 刻舟さん 実験
2008 12 色2 我慢 羽純
2009 01 NAME先生 ツカサ kei ケネディ
2009 02 飛び魚 羽純ライブ

人間業(にんげんわざ)ではない)このサイトに初めて訪問された方の為に・・・

   インスピモール内でも、テレビ・ラジオショッピングを網羅している。
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ジャパネットたかた テレビショッピング15周年